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文学・神話

魂が体に戻れなくなると・・・

みなさん、こんにちわ。

マヤの予言と歴史との関係についてメッセージを書いている途中なのですが、あまり無理をすると霊的な呼吸ができなくなり苦しくなるようです。
もう少し時間をくださいませ(^_^;)

きょうは少し現実から目を離して不思議なお話をご紹介してみましょう。



みなさんは「魂魄(こんばく)」という言葉をご存知でしょうか。

私も初めて耳にした言葉なのですが、魂は精神を、魄は肉体をつかさどるたましいのことをあらわし、人間はこの魂魄がなくなると感情をコントロールできなくなってしまう。というものです。

 
東洋医学の先生のところへ、ある男性が訪れていらしたそうです。身体的にはどこも悪くなく健康なのですが、不思議なことにその男性は、それまで50年近く生きてきて一度も物事をやり遂げたことがないのだそうです。
いつも途中でやる気が失せてしまうという状態だったといいます。

 「私は50年近い人生の中で、最後までまともに働いたことがありません。毎回、求職のための申請書をもらってくるものの、最後まで書き上げた事がないのです。たとえば何かを修理しようと、工具箱を開けて道具を取り出した瞬間、作業する意欲が消え失せてしまうのです。それで、妻に愛想をつかされてしまいました。本を読む時、いつも2、3ページめくっただけでそれ以上は読む事が出来ません。それで小学校、中学校の成績は最悪でした」

大変におもった彼の両親は、医者に通わせたり殴って椅子に縛り付けたりしながら、彼を卒業させたそうです。ただ彼にはいいアイデアがたくさん浮かぶので、彼の友人たちはそれを形にしてお金を稼いでいる人もたくさんいたそうです。でも彼はそれが出来ないため成功せず、カウンセリングを受けていたのです。

「両親はしかたなく私を椅子に縛りつけましたが、私は椅子ごと庭まで動き、リスや猫と遊んで、勉強を全くしませんでした。」

現代医学の視点からみればアスペルガーやサヴァン症候群のような可能性を疑うかもしれません。

ところが・・・中国には不思議な民話があるのだそうです。


以下本文より抜粋
---------------

私の診療所に来た彼は放心したように座り、ポケットから財布を取り出して何かを探しはじめました。1枚の写真が彼の財布から落ちると、私はそれを拾って彼に渡しました。その写真はとても古く、5歳ぐらいの子供が映っていました。落書きのような模様が、その子の顔いっぱいに描かれています。なぜこの写真を彼が大事に持っていたのか分かりませんでした。

 彼は、私が質問する前に写真について話してくれました。「この写真は、私が5歳の時に撮られたものです。あの頃、姉は絵を書くことに夢中で、特に人の顔に模様を描くのが大好きでした。ある晩、寝ていた私の顔に姉が模様を描きました。深夜になって、私は突然高熱を出して意識が無くなりました。それで私は病院に急遽、運ばれたのです。医者は、私の顔に描かれた模様が姉の仕業だと知った後、カメラにそれを収めました」

 私はその時、中国の昔話を思い出しました。「寝ている人の顔に模様を描いたら、その人の魂は体に戻れなくなる」という古い民話です。

「あなたのおかしな症状は、それから始まったのですか?」と私は聞きました。

彼は少し考えると、「そうだと思います」と答えました。

 私は少し彼の事情が分かったような気がしました。彼の魂は、それきり二度と体に戻ってこなかったのです。彼は50年近く、魂を失くした抜け殻のように生きて来たのです。精神病とも違う、何か彼の神経が一本、抜け落ちているという印象でした。魂の抜けた彼の体は興奮すれば少しも落ち着かず、ケガなどの危険も避けられず、気がふさぐ時はベッドから起きられずに、自分の体がどこにあるのかさえ分からないのです。

 人間は魂魄(こんぱく:魂は精神を、魄は肉体をつかさどるたましいのこと)がなければ、感情をコントロールできなくなります。そうなると、気の向くままに動き、危険を避けることができません。それはとても辛く、悲しいことです。

 私は彼に、心身を調えて心を修める方法や、座禅をすることなどを話し、漢方医の治療方法を説明しました。それは、心のバランスを整え、物事に対して一心不乱に集中するトレーニングでした。最初は1分間だけ心を静めることから初め、何度か試みることにより精神を落ち着かせて気を集め、気が集まることにより体の形成が完全になるのです。体の形成が完全になれば、彼の魂魄は戻ってくるということなどを話しました。

私の話を聞いた後、彼は早速、瞑想を始めました。

------ここまで------
医山夜話「体から魂が抜け出た人」より


この話には驚きました(・_・) 今までの人生、一度や二度はいたずらをしたような記憶がwww

でもなぜかそのあと沖縄のまぶや〜を思い出しました。

沖縄にも同じような伝説的「おまじない」があるようです。
「まぶいぐみの儀式」というのだそうです。

「まぶやぁ〜まぶやー」といいながら、魂が落ちたときに言いながら拾います。

ボーッとしている時や、びっくりしたときなどにも「魂が抜けているねー。」という意味として魂が落ちた時に言うのだそうです。

まぶや〜とは沖縄の言葉で「魂」を意味しており、人間の中に7つ存在しているといわれています。そしてびっくりしたり、何か大きな衝撃があったりすると落ちてしまう。

語源は沖縄の野方言の 「まぶい」=「魂」
(むかし、とても綺麗な女性を”まぶいね〜”というように使っていた記憶があります^^;)

それを「拾う」儀式に使うのが先ほどの 「まぶやーまぶやーうーてぃくーよー」 (まぶやーまぶやーもどっておいで〜) を使うのである。
特によく子供が落とすみたいで公園で子供が転んだりすると横でおばーが「まぶやーまぶやー」しているのが見受けらる。

でももっと本格的に落としてしまうとひどい「とぅるばやー状態」(ボーとした状態)になり、最悪命を落としてしまうとさえ言われている。

そうなる前に沖縄の霊媒師である「ユタ」にお願いして、本格的な『まぶいぐみ』をしてもらうのである。

本格的な「まぶいぐみの儀式」については、以下のサイトを参照ください。

「まぶやぁ〜まぶやー」

 
寝ている人の顔に模様を描いたら、その人の魂は体に戻れなくなる。という民話は少し怖いですね〜(・_・;)

でもそれは魂が持っている不思議な力をあらわし、落としたら危ないよ!ということを伝えるための象徴メッセージなのかもしれません。


寝ているお父さんの顔に模様を描いたりしていませんか?^^;
魂が戻れずに混乱してしまわないよう、まぶやぁ〜まぶやーとちゃんと拾っておいてくださいね!

  • 2011.03.28 Monday
  • 12:00

文学・神話

弥勒菩薩とケツァルコアトル

古代マヤ・神聖暦では、今日は「祖先(アハウ)・1」という日です。

祖先を大事にする、自分の心を大事にする。そして感謝する日です。


古代マヤの先住民たちは「時間」は循環するものとして信じていました。
魂も輪廻するという考えを持っていました。
「アハウ」とは、死んでいったすべての男女と精霊たち、威厳あるもの、完全さと世界樹の中心にたつ王であると同時に神の生まれ変わりを象徴するサインです。

祖先たちと友好的な関係を維持することは、伝統や過去が現在に引き継がれ、生き続けていることを保証してくれます。
先に死んだ人たちを思い出し、受け継いでいる魂、スピリットに感謝をささげることは、また次に新しい生命を得て自分たちの元へと戻ってくるための祈りを捧げるのと同じでした。





霊的にも肉体的にも「アハウ」と呼ばれる祖先たちと結びついていることは、個人としての意識と祖先すべての意識を含む集合的無意識全体とのあいだに連続性を確かにすることであり、また悟りの花を咲かせることができることを意味していました。


祖先・1の日、亡くなった家族、先祖や仏となった霊たちに感謝をささげることは、自分の中にある集合無意識が高次の霊・大きなスピリットに結びついて、自分では知ることのできない未知なる叡智の恩寵にあずかることができるのです。

誰のためでもない「自分の魂と霊のため」「本当の自分と一つになるため」に、祖先の日を感謝の気持ちで過ごしてみましょう。

        


仏教の世界に「弥勒菩薩」がいらっしゃいます。
曼荼羅は、悟りの境地に達するという本質を得ることを、仏教の宇宙観や教理によって、絵画的に表現したものとしているそうです。
その1つに「胎蔵曼荼羅」があります。




胎蔵界とは、胎児が母胎の中で成長するごとく、人が菩提心に目覚め、悟りに導かれる姿を示しています。その中心には、蓮の花の型をした中台八葉院があります。
宇宙の根源である大日如来を中央にすえて、内なる仏性が悟りとして実を結ぶ過程を象徴しているとあります。

東を上として、弥勒菩薩は左上つまり東北の方角に位置して、未来を救済するという慈悲の菩薩です。 釈迦入滅後56億7千万年(太陽系の余命にちかい)後に如来となって衆生を救済するのだといわれています。


マヤ暦でも同じような宇宙観が展開されています。

マヤのツォルキン暦は260日が1サイクル(年)です。
これは人間の妊娠期間をあらわし、本質的には人間意識の旅を象徴しているといわれています。その時を担うアハウは、神の化身です。

太陽神「ケツァルコアトル」は、マヤ族では磔にされた「救世主」であり聖なる不死の神の象徴です。

マヤ族の原住民たちは、ケツァルコアトルは無限の未来に戻ってきて、民の罪を贖うと約束していたと信じていました。



曼荼羅では胎蔵界の中台八葉院に弥勒菩薩をえがき、母胎のなかで成長する悟りの境地をあらわしました。
古代マヤの宇宙・世界観では、ツォルキン暦という時の暦を母胎として、ケツァルコアトルなる救世主が無限の未来を救う神であると信じて悟りへの旅を表していました。


弥勒菩薩もケツァルコアトルもイエス・キリストも、未来にやってきて民を救う贖うという約束をしています。


宗教を超え時代も国境も越えて、神話が語り継がれている世界は、集合無意識を通じて愚かさゆえ迷う人間たちに生きる希望を与え、真理として語りかけ、祖先たちの国、神々の世界を象徴する化身として脈々と生き続けているのですね。


マヤ暦「祖先のトレセーナ」の期間(7月5日〜17日)、私たちがそのことを思い出すのに相応しい自分でいることは大切なのではないかと思わされました。

弥勒菩薩、イエス・キリスト、そしてマヤのケツァルコアトルに栄光を帰して。


マンダラ―神々の降り立つ超常世界
マンダラ―神々の降り立つ超常世界
立川 武蔵
  • 2010.07.05 Monday
  • 20:33

文学・神話

ミルキーウェイとプレアデスの神々

古代の世界では、この世に完全な「闇」が存在していたとき、太陽は今よりはるかに明るく、月や星々もずっと多くの輝きを放っていました。

空いっぱいに広がる宇宙と天体の輝きのひとつひとつに、古代に生きた人々は神の姿を見ていたといいいます。

古代マヤ文明の礎を築いたマヤ族は、天文学の知識、暦、そして世界観や思想を持ったいました。 それだけでなく「チラム・バラムの書」や「ポポル・ヴフ」などのような神話や予言、儀式、暦情報としての聖なる書を伝承として語り継いでいました。


マヤの宇宙は3つの世界から成っています。

目に見える地上の世界、見えない天界、そして冥界(地下世界)です。
冥界であるシバルバーへの入り口は、「洞窟」だとされていますが、そのシバルバーへ続いている「道」は、天の川の中に見える帯状の暗い部分だと考えられていました。

この3つの世界にはそれぞれに神がついています。
大地の神7人、地下世界(夜の王)の神9人、そして天界の神13人です。
この3つの世界の神々を組み合わせ(掛け合わせ)ると、木星・土星の運行を追うための周期の一つになっているのです。(819日周期)


マヤの宇宙観を研究し、また紐解いていくとき、壮大な天体の星々と人間との間にある見えない世界への切符を手にするような錯覚を覚えます。


しかしそれはマヤに限ったことではありません。
世界中で語り継がれてきた神話には、星になった神々についての共通の概念が存在しています。

    

★銀河(ミルキーウェイ)

銀河、天の川は、天を滔々と流れる川や銀色に光る道であるというのが神話世界での常識となっています。日本や中国、ベトナムでは、天の川に隔てられた悲恋物語が有名です。
これらの物語では、男女が川の両岸で相対しながら、なかなかあうことができずに泣き出すという意味を持ちつつ「雨」を象徴しているとも言われています。

ギリシャ神話の主神ゼウスが、アンピトリュオンの妻アルクメネにうませたヘラクレスが8ヶ月になったとき、ゼウスの嫉妬深い妻であるヘラは、2匹の蛇を揺り篭の中に入れ、殺そうとしました。ところが赤子のヘラクレスはその蛇を素手でもって絞め殺してしまいます。ヘラの怒りを恐れたアクルメネは、ヘラクレスを野原に捨ててしまいます。偶然そこを通りかかったヘラは、誰のこともわからないヘラクレスを抱き上げて乳を与えました。するとそのあまりの怪力で乳房を吸ったため、乳がほとばしって川となり、その川が天を流れる銀河となったという話です。

マヤでは、3つの光の結合によってこの世界は創造されたとする3次元からなる「十字架」があります。その十字架は「輝く光」(東から西に向かう光)、「一本足の光」(北から南に向かう光)、そして「小さな光」(天頂から天底へ向かう光)で表わされています。この「小さな光」は日本や中国の神話と同様「雨」という意味を持っています。この光の結合であるマヤン・クロスは夜空に浮かぶ銀河を表しているといわれ、ユカテク語では「持ち上げられた天空」を意味する「ワカフ・チャン」と呼ばれています。


★プレアデス星団

牡牛座の肩に6つ星が集まっている場所、それがプレアデス星団です。
日本では「すばる」という呼び名を持っています。

    

ギリシャ神話ではプレアデスは天を担ぐ巨人アトラスの7人姉妹の娘で、女神アルテミスに仕えていたそうです。
月の明るいある晩のこと、7人姉妹が森のなかで踊り戯れていると、猟師であるオリオンが現れ、彼女たちを犯そうとしました。驚き恐れた彼女らは、森の奥へと逃げ込んで月の女神アルテミスに助けを求めます。女神は自分の着物の裾にかくまってあげました。
しかしなおもオリオンを恐れ続ける姉妹たちを気の毒に思ったゼウスが、7人を美しい鳩に変えたので、大空へ飛んでいって星になったそうです。今では6つの星にしか見えないのは、姉妹のひとりエレクトラが、トロイアの城壁が戦火で焼け落ちるのを見て悲しみ、長い髪をなびかせて彗星となって飛んでいったからだと伝えられています。

アステカ神話でもプレアデスは「センテオトル」という「コーンの神」としての神格を持っています。(マヤではヤム・カァシュと呼ばれています)



センテオトルはトラツォルテオトルという月の女神の息子です。トウモロコシでできた冠を戴いた若くて凛々しい青年の姿として表され、「7つの蛇」と呼ばれるコーンの女神をパートナーの女性神格として持っています。
またセンテオトルはマヤの神「ケツァルコアトル」によってこの世界に連れてこられたといわれ、北の力を持ち、プレアデス星の使いだとも言われているコーン神なのです。


マヤでは「シカ」を年の守護者に迎えている2010年、日本では50年ぶりとも言われる寒春に植物の女神も悲鳴を上げていますね。
シカの守護神である「トラロク」は、実は「雨と光と雷の神」なのです!
トラロクは、雷雨や、山の湧き水を司る神様で、とても崇拝されていました。
そしてマヤの地下世界(ナイトロード)を司る9つの王の第9番目の王でもあるのです。

   

雨が意味するものは単に「大地を潤す恵みの雨」に留まらず、「霊的な光のスピリット」でもあることから、今年は雨の多い1年でかつ霊的なスピリットに意識が引き寄せられる…そんな年なのかなぁ〜〜と、寒空に覗かせる星の姿を確認して微笑んでしまうこの頃です。

  • 2010.04.24 Saturday
  • 14:28

文学・神話

マヤ神話にみる「勇者の試練」

「ポポル・ヴー」というマヤの神話があります。

マヤ神話―ポポル・ヴフ (中公文庫BIBLIO)
マヤ神話―ポポル・ヴフ (中公文庫BIBLIO)
A. レシーノス,林屋 永吉

普通に読んでいくと「何?コレ?!」
確かに神話とはそういうものですが、とにかくわからないお話ばかり。

 聖書や日本神話も同じように、宇宙創造のお話や人間誕生、伝説や予言など、人々が信仰していた神々のおはなしが語られているのですが、ストーリーになっているようなないような、そこはマヤ独自の世界観や宗教観に溢れていて、すんなりと理解できるものではないのです。


でも神話の中には、わたしたち人間にとても参考になるような教えがいくつも込められています。


ポポル・ヴーには、シバルバーの王と2人の勇者が登場するお話があります。

シバルバーはマヤでは「悪魔」「死者」を意味していたそうです。

人間の敵が住んでいる「シバルバー(Xibalba)」という地下の国があると信じていました。闇の王国にも当然「主=王」がいます。

人間である二人の兄弟は、地上で数々の偉業をたて、武勇伝が伝わるようになりました。それを聞いたシバルバーの王は、二人を滅ぼそうと地下に呼びつけます。

シバルバーの館
シバルバーの館の絵図

2人の兄弟はこうしてシバルバーの聖域へと降りていき、試練を受けることになるのです。


どんなに力がある勇者でも、さすがに暗い冥界の世界へと降りていくことは恐ろしい恐怖に違いありません。

どのような恐怖であっても、それがたとえ「死」の恐怖であっても、そこから逃れられないのですね。

わたしたち人間は、とても不確かな存在です。
肉体もそうですが心も精神も同じように、一つのところに留まることを知りませんね。

恐ろしい隔離状態におかれたり、忍耐力を試されたりすることは、あらゆる通過儀礼(イニシエーション)の儀式では重要な役割をしめています。

暗い森や洞窟で何の助けもなく、自分自身の内的な力と素質だけを頼りに、考えられうる身体的な死の危機と直面し、それを耐え忍ぶという苦難に直面することによって、その人は新しい中心の発見へと導かれていきます。 

メキシコの死の神
メキシコの死の神

孤独感や無力感に打ち勝ってこそ、真に生まれ変わったものになることができるのです。

試練という言葉を好きな人はいません。

ましてや試練にあいたい人なんているはずがないですね。

でも人間が生きている以上「試練」のない人生などないのであれば、試練をどう受け止めて「勇者」となるかが、その人の新しいステージへの大きな助けとなるのではないでしょうか(^_-)-☆


  • 2009.12.05 Saturday
  • 20:57

文学・神話

ケツァルコアトルと魔術師マーリン

NHKBSで、海外ドラマ「魔術師マーリン」が放映され人気を集めているようです。

ユングコレクションの著書のなかでも「マーリン」は取り上げられていて、とても深い意味があることを学ぶことができます。

無意識の世界を描くのと同時に「魔術師マーリン」についても、象徴寓話を創作していました。

マーリン伝説

現在は忙しくてあまり手を加えられていないのですが…(^_^;)




「密儀」という秘密の教義を学んでいると、いろいろな宗教や伝説の中に登場する「救世主」という概念としばしば遭遇します。

救世主といえば、代表的なのはイエス・キリストです。

ナザレのイエスは神の子という神性さを人間神として持ち、罪人として十字架に磔にされ、3日後に墓から蘇ります。

「キリスト」(クリストス)は人間のなかに内在する「潜在的な神性」を意味していて、地上の人間がこの神的な「自己」との和解によってのみ、救済という目的が達成されるのだと、初期のキリスト教はその教えを伝承していました。

初期のキリスト教に「エッセネ派」がいます。


エッセネとは「医師」を意味する古代シリア語です。


彼らは共同体として生活し、ユダヤ人のなかでもひじょうに秀れた教育を受けた階級に属していたようです。 

魂の不滅性を説き、精神、魂、肉体上の病人を治すことを存在の目的としていました。

イエスはこのエッセネ派のもとで、偉大な教義を学んだと記されています。

この「エッセネ派」の教義から「カバラ」が誕生したのだと伝えられています。




この教えが「アーサー王物語」の聖杯伝説にも大きく関係しているようです。

アーサー王物語に、魔術師マーリンという不思議な謎に満ちた人物が登場します。

マーリンは人間の母と、悪魔の父の両方の特徴を持ち、誕生します。

☆☆☆

伝説によるとマーリンは暗闇の力に仕えることなく、真の光に改心して、父親から受け継いだ超自然的で魔術的な能力のうち、予言と奇跡を行なうという2つの力だけを維持したようです。

その後アーサー王の教育係として魔術師マーリンは彼に秘密の教義を授けます。


アーサーが円卓の騎士として権力を握ったのち、マーリンは姿を消します。


キリストが救世主であること、マーリンが影の救世主であることは、魂の救済と「潜在的な神性」との和解を象徴している寓愉として理解できるのではないでしょうか。



太陽神ケツァルコアトルも、磔にされた救世主として十字架と大きく関わりがあります。 

ケツァルとは「天国の鳥」、コアトルは「蛇」を意味し、ケツァルコアトルは天国の鳥の羽毛に覆われた蛇となります。

メキシコでは ケツァルコアトル
マヤ ククルカン
キチェー グクマツ
ペルー アマル

すべて同じ「太陽の使者」であると言われています。


アマルという名から「アメリカ」という言葉が生まれ、「アマルカ」は「羽を持つ蛇の国」と訳されます。


マヤ族たちは、ケツァルコアトルは無限の未来に再来し、民の罪を贖い、救い出すと約束して昇天したと信じていました。

「ボルギアヌス法典」には、メキシコの神「ケツァルコアトル」が十字架上で磔にされ、釘を打たれていたり、絞首刑にされていたり、両手に十字架を持つ姿として絵画が残っています。



そしてそこに書かれているのは「磔にされた神の名:ケツァルコアトル」とあるそうです!


必ず助けにきてくれる!
救世主を待ち望む!
罪や悪から救い出してくれる!


ゆるぎない信仰は、世界中に見られる神話の大切な元型であり、大きな真理なのですね。


マヤ神話、マヤ神聖暦に登場するナーカル守護者たちにも、この大きな秘密の教義と救世主の真理と智恵がたくさん隠されているようです。

  • 2009.11.12 Thursday
  • 22:37

文学・神話

幸せの原則

夢を追いかけている人や、何かに夢中になってやり遂げようとしている人は、誰から見ても幸せそうに見えます。

イク

その人の瞳には力があって、生き生きとした光輝くオーラに満ちています。


人もお金もまるでその人のそばに行きたがっているようにさえ感じますし、何もかも全てが上手くいくように最初から決まっているようで、羨望の眼差しで見てしまうのも無理ありませんね。



その人たちだって同じ人間ですし、悩みもあれば失敗だってあるはずです。最初から全てが上手くいっていたわけではないのです。

ではそのような運命を生きている人と、そうでない人とはいったい何が違うのでしょうか?



私の愛する作家に「パウロ・コエーリョ」がいます。



アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
パウロ コエーリョ,Paulo Coelho,山川 紘矢,山川 亜希子


彼の素晴らしい作品「アルケミスト」に登場するセイラムの王様がこう言っています。


  「運命とは、いつもあなたがやり遂げたいと思っていることです。」

  「あなたが誰であろうと、何をしていようと、何かを本当にやりたい!と思った時、その望みは宇宙の魂から生まれたもので、それが地球におけるあなたの使命なのです。」

  人が何かを心から望みはじめたとき、幸運の原則が働く
のだそうです。

誰でも初めてカードをしたとき、ほとんど確実に勝つのが初心者のつきなのだと。

それはあなたの願い・運命を実現させよう!
という力が働くからだともいいます。

私もその通りだと思っています。


★★

人は自分が何かを求めない限り、何も始まりません。
そこには満足も充実も幸福感も生まれてはきません。

「パイロットになりたい」「恋がしたい」「旅に出たい」「お金持ちになりたい」などなど願望を心に本気で描いた瞬間から、大きなおおきな力が働きはじめるからです。


その望みがあなたの運命となって実現するように、使命を果たすことができるようにと、幸運や偶然が前向きな力となってあなたに働きかけてくるのです。


不思議なものごとが、次から次へとくさりのようにつながって起こってきます。

大きな力があなたの運命を実現するようにと味方しているとき、あなたは生き生きと輝き始めます。

そして幸運が自分の側にある時は、それをどんどんと利用しなくてはいけないのです。

ラッキーな流れのほうから近づいてきて、私たちを助けてくれるのですから、その間にできるだけのことをしないとなりません。


    

しかし、ここからが大事なこと。


幸せの原則が働きだし、上手くいくように感じるのは初心者の幸運があるときだけです。途中になると勇気や決心をテストされたり、困難を感じるような事態がおこったり、様々な問題にもぶつかったりします。

そんなときあせったり、いらいらして先を急ぐと、ラッキーな偶然や前兆を見落とします。


それはあたかも運命の実現とは全く違う方向へと行かされているような不安を感じるかもしれません。

その時、考えてみてください。


自分の夢や願いを本気で実現させたいのかどうかを。
そして自分の心とちゃんと向き合っているかどうかを。



幸せになりたい、夢を実現させたい、と願う大きな心がない限り、運命を実現させることも使命を果たすことも出来ないのです。

そしてそれを可能にするための幸せの秘密は、現在のあなたの心の中にある、ということです。

時にはあなたがそれまで慣れ親しんできたものと、これから欲しいと願っているものとのどちらかを選択しなければならないかもしれません。
後ろ髪を引かれるかもしれません。

でもそうやって自分の願望をつぶそうとして自分の夢への希望をしばっているのもまた、自分のこころなのです。

本当に欲しいものは、必ず手に入ります。
そして自分はほんとうの幸せになる。と心に決めている人は、絶対に幸せになります。

なぜならそれが幸せの法則だからです。



  • 2009.10.24 Saturday
  • 17:20

文学・神話

恐るべし!古代マヤ神話の世界

マヤ占いには20のデイサインが登場する。

第1番目のサイン「ワニ(Imix)」から始まって、第20番目のサイン「祖先(Ahau)」まで、人類をサインの特性に重ねて象徴を伝えながら、人間意識を形成していく。

無意識の原始の沼に住むワニは、人体の脊髄を伝わって上昇するエネルギーとともに、人間意識から神意識である祖先への統合に至る。

ワニ   ワニ      風 
    夜  トカゲ  トカゲ 
ヘビ   ヘビ  死    死
シカ   シカ  ウサギ ウサギ 
水    水  イヌ   イヌ 
サル   サル  道    道
コーン  コーン  ジャガージャガー 
ワシ   ワシ  コンドル コンドル 
香    香  ナイフ  ナイフ
嵐    嵐  祖先   祖先



単純に1から20まで意識が成長するのかといえば、そうではなく、自分のサインを中心に四つの方向に別のサインを持って生命樹を成して生きていく。

さらに1から13までの数値をサインのお供として、聖なるピラミッドをなぞりながら、人間の時を刻んでいくのがマヤの暦なのだ。

暦を解読するために象徴絵図をひもとき、謎めいたサインの意味を解読しようとするのは多くの学者や研究者だけではない。
私のような占い師もそうだ。
マヤの魅力に取りつかれて探求している人たちはいっぱいいる。


読めばよむほど、解けばとくほど謎が現れてくる。

そしてさらにその謎は新たな発見を予感させ、また別の探求の旅へと駆り立てる。そしていつの間にかマヤの世界にどっぷりと浸ってしまうのだ。


もとは無意識の世界を旅していた私だが、途中でマヤに引き寄せられた。
なぜだか考えてみた。



たぶん「神話」が古代からそのまま生きているからだろう。
人の手によらず、人為的な作為が施されておらず、象徴が語るままにその姿を目の前に現してくれるから。


ところで、私は第6番目のサイン「死(Cimi)」である。
「死」は霊的変容と大地の祝福の象徴サイン、陰のサインである。
そして守護する神はもちろん「死神」。
死

20のサインは、10ずつのグループに分かれる。
死神の守護するグループと風の神が守護するグループである。
風は生の神で陽、死は死神で陰となり、互いはコインの表裏として助け合う。

「死」には背中合わせになっている「生」のサインは「コーン(Ben)」である。
コーン


コーンのサインは凄いエネルギーに満ちていて、高い霊性をもってこの世界を支えていく。コーンはとうもろこしでもあるが、権威の象徴でもある。守護する神は「テスカトリポカ」魔術師で支配者の神なのだ。

この神が持つ第一番目の力はおそろしい。

「スモーキングミラー」(煙をたてる鏡)を持って、相手の中に隠された影の暗い部分を目覚めさせる。自己という鏡をのぞきこんだ時にだけ、わたしたちの内に知覚されるものだ。

死の私にとって、コーンの人は私の暗い一面を映す煙がかった鏡だ。

自分の心に影がなければ、コーンの人は明るく私の光を反射し、映し出す。
もし自分の心に暗闇があれば、内なる感覚はコーンに反映され、運命を動かしていく。

死はコーンによって霊性が高められ、また活かされるのだ。



私の母は「コーン」である。
時に母性あふれる深い愛があると思えば、猛威を奮う嵐のような大母グレートマザーでもある。そのおかげで、私の今がある。





もう一人「コーン」の友がいる。

彼女は人生という大地に足をつけ、根をしかとはって生きている。
運命が4つの方向どちらへ行こうと、多分彼女は揺るがない。


彼女は占い師をしている。
古代中国の智恵がたくさん入った四柱推命の占いなのに、どこかマヤと共通点がある。

彼女の人生も多難であるのに、どこか美しい。
凛とした権威をもって生きている皇女のように思える。



彼女は心に正直に生きようと、心に素直になろうと
毎日自分に修行を課している。



そして私のこともよく見ていてくれる。
お互いの間に陰と陽のエネルギーが流れているのがわかる。
光が互いのエネルギーを伝え合い、心を照らしあえる。

ひなちゃん


人生で知り合える人の数は限りある。

どんなにたくさんの人と会っても、印象が残り、互いの光を引き合うことは多くはない。

異性同性関係なく、波長と波動が呼応するつながりは新鮮な響きをこころに与えてくれる。

彼女にとってもやはり「死」の人は、大きく影響しているという。
彼女と私を引き合わせ、サインの導き合いを快く受け入れることができたのは、やはりマヤの力なのだ。

恐るべしマヤの世界。
そんなマヤ神話の世界が、私は大好きだ。

  • 2009.09.26 Saturday
  • 00:57

文学・神話

神々のわざと課題



古代メキシコ、小さな森に命を紡いで今も行き続けている
キミ
ムルクのお話です。


小さな森に住む年老いた神「ウェウェテオトル」は、死を間近にしてキミとムルクを呼び集めました。


悲しみの嫌いなムルクと、悲しみを楽しむキミは、
ウェウェに何かあったのかとすぐにやってきました。


キミとムルクを前にすると、ウェウェはいいました。


「キミとムルクよ、天界へと戻らなければならない時がやってきた。
この森で真実を知るために、わしは大切なことを伝えておかねばならない。」

ムルクはウェウェのこんなに真剣で怖い顔を見るのは初めてでした。
「ウェウェ、悲しいこと言わないでください!ウェウェの言うことを聞いたとしても、ウェウェがいなければ苦しみの連続に違いありません!」


キミは笑いながらいいました。
「ウェウェ、アディオス! いいなあ。もう呼ばれちゃって!大切なことって何? はやく聞かせてよ!」


ウェウェは静かにいいました。


「ふむ…この森から13ステージ離れたところに神秘の泉がある。
泉には青紫色の水が湧き出しておる。
その泉の水を飲む者は意識のレベルが上昇して『天の秘密』を知ることになる。
夜の心を持つ者は精神が安らぎ、真実に生きるものとなる。
しかし…
飲む者が闇の力に圧倒されたまま泉を飲むと決して死を免れない。
それが死と生の神の特別な取り決めなのじゃ。」


「それだけではないぞ。自制や抵抗なくオープンに意識の領域を拡げてしまう者は、奪われるか泉に溺れるかのどちらかなのじゃよ…」


愛の形


ムルクはそれを聞いて恐ろしくなりました。
キミは反対にわくわくしてきました。


すると、どこからか風が吹いてきて、声がきこえました。

「手を取り合って泉へゆきなさい…」
穏やかでとても優しい女性の声でした。


天を仰いだウェウェはいいました。


「オメテオトルよ、私が行くまで待てなかったのか?!」


風はウェウェのまわりで円をえがき、しずかに止まりました。


まばゆい光が現れて、キミとムルクの目を閉じさせました。




キミは恐れずに訪ねます。


「オメさまー、大切な秘密を教えてよー! そうしたら泉へ行かなくてもいいからさぁ」


母なるオメテオトルの優しい声はいいました。


「キミ、見ることも触れることも出来ず、天にも地にも満ちている、近くにいて遠くにあるものは何ですか?」

キミは考えました。なんだろう…?


「その答えがわかる者にだけ、秘密が明かされるでしょう。キミよ、ムルクと手を取り合って泉へ向かいなさい」



しばらくすると、ウェウェは空中に引き上げられました。
ウェウェは静かにそして強く言いました。



「キミ、ムルク、覚えておきなさい。天の秘密はことばではないのじゃ。
そしてまた、おまえたちが考える道筋には真実はないのだから。
アディオス、キミ、ムルク!」



周囲をあたたかな風が包み、ウェウェは天に昇っていきました。


森の中央に残されたキミとムルクは、ウェウェとオメさまのことばをかみ締めていました。

無意識のカガミ


森の中央にいると思っているキミとムルクのいるところ、
本当はそこが泉の底であると気がついていません。




光に眼を閉じたとき、オメテオトルは魔法をかけていたからです。



ウェウェとオメテオトルは、生きるために最も大切なことをキミとムルクに知らせるため、決して真実を伝えることはありません。


真実こそ自分のいる場所にあるのですから。





ウェウェはそうして天界へと戻っていったのです。


神々のわざも、神々が与える課題も、このようなものです。


死の神の仲間

ジャガーのサインを持っている人、
祖先のサインを持っている人、
死のサインを持っている人、
道のサインを持っている人、
ナイフのサインを持っている人、
トカゲのサインを持っている人、
イヌのサインを持っている人、
コンドルのサインを持っている人、
風のサインを持っている人、
ウサギのサインを持っている人。




風の神の仲間

ワニのサインを持っている人、
シカのサインを持っている人、
コーンのサインを持っている人、
ヘビのサインを持っている人、
サルのサインを持っている人、
香のサインを持っている人、
夜のサインを持っている人、
水のサインを持っている人、
ワシのサインを持っている人。


湧き出ている泉から青紫色の水を飲み、
天の秘密を知るために手を取り合っていくのは

あなたにとって、どのサインの人ですか?!
  • 2009.09.12 Saturday
  • 11:32

文学・神話

風の神…ケツァルコアトル

風の神…ケツァルコアトル(Quetzalcóatl)


2009年2月22日、マヤ暦では新年を迎えました。
年の守護者は「風」。
マヤの人々は「年の守護者」として働くデイ・サインによって、その年は特定の性格を持つと信じられていました。気候や農業サイクルの予言としても重要視し、時間の周期を研究して未来の出来事を読むためにも有用だったようです。

古代マヤの人々は「『風』には悪い霊が住んでいる。あちらこちらで猛烈に吹き荒れ、人体に入り込んでは精神的肉体的に変調を引き起こす」「純粋に肉体的な原因ではなく、魔術的な力によって心身が病気になる人が多い」
という伝承があり恐れられていました。

ケツァルコアトルの嵐

「ケツァルコアトル」…風の神について、象徴的意味や神話、伝説や特長などを書いてみたいとおもいます。

ケツァルコアトル…マヤでは「ククルカン」と呼ばれ、空飛ぶ羽毛のある蛇であり、エエカトルとも呼ばれていました。

ケツァルコアトルという名前を、メキシコ人は「大昔に生きた神」を指すとともに「神聖な宗教的指導者」をも指す称号として使っていました。

不死鳥・ケツァルコアトルは、もともと「天界の神」を表していました。
この天界の神は最初の神の夫婦の4人の息子のうちの1人、オメテオトルでした。西の空を支配し、色は白。純潔、善、智恵を意味しています。また金星とも同一視され、みずからを生贄に捧げる神秘的な火の鳥、不死鳥のようでした。

ケツァルコアトルはアステカ神話では、黒と赤の国で自分と心臓をいけにえに捧げ、白熱を発して燃え上がり、天に昇って金星になったと伝えられてます。

またケツァルコアトルは、男性のつよい願望を元型的に表しているとも言われています。
ケツァルコアトルを「羽毛のある蛇」として表現するとき、そこには二次元的な特徴が見られます。
「羽毛」は軽やかで精神的な性質として「父性」を表し、一方「蛇」は肉体的な創造として「母性」と関係があると言われています。

もっと深い神秘的なレベルでは、「羽毛のある蛇」のシンボルは、知識のある人物は、そのなかに二つの相反する性質を備えている必要があることを示しています。つまり、精神的なものと肉体的なものとの結びつきです。

羽毛のヘビ

さらに「ケツァルコアトル」を別の角度としてグノーシス的性格を見るとき、蛇は低い自我を表していることから、秘儀に参入しようとしている者と大いなる運命の間に立ちはだかるのが「個人のエゴ」であり「蛇」の意味する「低い自我」なのです。
よって、個人が個体性という自我を明け渡すのには何年もかかり、試練に直面しつつまったくひとりで神に対峙しなくてはなりません。そして、その努力が成功すれば心は開かれ、無条件の愛の純粋なエネルギーが流れこんできて、「ケツァルコアトル」になるのだということです。

「風」は嵐を呼ぶ雲をもたらし、「雲」は生命を与える雨を降らせる。
「風」は生命の息吹そのものとして象徴されています。
生命の息吹は、創世記では「神の霊」であり、ヘブライ語では「ルアク」といい、ヨガの哲学では「プラーナ」と呼ばれる「霊」であり、「呼吸」なのです。

「風」のデイ・サイン…風の神がもたらす変調は、現在も限りなく人間界に大きな損傷を与えています。

・マイケル・ジャクソンは「風」というサインの元に生まれ、天界の呼吸を地上にもたらし、音楽という世界で新風を巻きおこしました。そして「風」の年に風と共に連れ去られてしまいました。

・メキシコから始まった「新型インフルエンザ」ウイルスは、「風」の年に風の息吹にのって世界中を震撼させました。このウイルスが「風」の悪い霊的側面から派生し、地上に具現化したのではないかとも考えられます。

・また、風が司るのは「横隔膜」です。横隔膜(おうかくまく)は、呼吸運動に関する筋肉の1つです。
息苦しい、胸が重たく感じる、気管支の調子が悪い、ひゃっくりがとまらないなど、呼吸器に問題が生じた場合、「風」が悪戯をしているのかもしれません。

ケツァルコアトルは、インスピレーションや繊細なスピリットなど気の力を「風」に与えました。

風の神


私は古代マヤの叡智を天からお借りして、人の運命を占う占い師です。
もし占いの結果に「風」が出たら、それは「北」にある天の気門がその人に向けて開かれたと解釈します。
「ケツァルコアトル」が北からエネルギーを送るとき、あなたがプラスの力とマイナスの力のどちらのエネルギーを引き寄せてしまうかは、あなたが持って生まれている「神聖暦のデイサイン」に大きく関係します。

また相談者あるいは家族や友人、恋人などにとって劇的な変化や変調がある場合は、「風」の神「ケツァルコアトル」が大きく呼吸をし、あなたに「何か」を知らせようとしているのだと考えます。

質問がどんな内容であれ、宇宙霊との調和・和解できるよう進めます。また怒りを持つ人からの否定的な影響を受けていることを知り、その影響を受けないよう宣言することは大事であると伝えます。また傲慢さやプライドの高さ、思い込みによる錯覚を戒めるよう促します。

「風」が年の守護者であることの意味と、相談者が本来のエネルギーを通す「純粋な器」となることで、ケツァルコアトルの怒りを受けないよう、内なる力を高める必要があることを願いながら占いを行うのです。

「風」が運んでくるものは、決してマイナスばかりではないこと。
マイナスがプラスであると考えられるような逆転の発想ができること。を知ることこそ、羽毛の蛇の象徴を理解することなのだと感じているからです。
七夕
「ケツァルコアトル」…ククルカンという「風の神」は、普遍的な集合無意識に生き続けている偉大な叡智の象徴なのではないでしょうか。
  • 2009.07.11 Saturday
  • 14:05

文学・神話

神話のススメ

日の出

新年明けましておめでとうございます。



ブログ記事を更新することがなかなか出来ず、ストレスをためながらずっと過ごしていました。

私の性格上、まあ少しくらいの内容でもいいから更新しておこう。とか、少しずつ一つのテーマについて書き足しながら進めて仕上げていこう。というようなことも出来ないたち(だと思い込んでいたのですが(^^ゞ)なので、まとめて時間がとれて集中して一つのことについて書き上げることが出来ない限り、記事を更新することができないわけです。

もう少し気楽に書きたいことを書いていけばいいのに…!
などと自分を客観視して忠告するのですが、どうも頑固さとこだわりが邪魔をしてメモ帳を閉じさせてしまう。
愚か者につける薬はないので、仕方ありませんが・・・


さあて、今年はどうやって自分と向き合っていこうか。
どんな時間を過ごしていこうか。どうやって前進していこうか、などと考えてみたわけですが、結局のところ自分の殻をやぶって次の世界へと行くためには、自分以外の人の問題や意見・偉い方々の主張を考えてみることでしかできないのです。

そこで新年そうそう古本屋へと足を運び、無意識の偶然と共時性を頼りにたくさんある中から、何冊かを取り出して手にとりました。
それが今の自分に必要なことが書かれていると信じて…。

さっそく家に帰って読みました。




その1冊が
「河合隼雄 その多様な世界」
というタイトルの講演とシンポジウムの記録書でした。

現代人の心の問題をテーマにした師の講演内容は、ぐんぐんと私を師の世界へ引き込んでいってくれました。
さらに、他の5人のパネリストの内容も大変面白く、私が忘れていた「何か」を呼び覚ましてくれたように感じたのです。



今から5年ほど前、子どもたちに神話の世界の素晴らしさを伝えたくて、自らの体験と子どもの夢の破片を書き溜めてきたものを集めて、児童向けの小説を書き、児童文学賞に応募したことがあります。

財団法人ちゅうでん教育振興財団が主催する「ちゅうでん児童文学賞」というものです。
当時河合隼雄氏は健在で、この財団の理事もされていたように記憶しています。

この賞をずっと支え、審査をされてこられた方々の一人が児童文学作家の今江祥智氏です。
上の講演にも、パネラーとして今江祥智氏が参加されていました。

その後私は何篇も小説を書いてきたのですが、時間とお金との戦いについに敗れ、今では断念せざるをえないという諦め感が最近の私にはありました。

単身子どもたちを養育しながら、自分の夢をかなえることの大変さを言い訳にして、私は自分のやりたいこと、やるべき使命から目をそらし、「しょうがないのよ人生は! なるようにしかならないのよ人生は…!」と日常を過ごしてきたのです。

だから…
だから、次第にだんだんと「書く」ことが出来なくなってきてしまったのです。

「書く」という行為は、自分の内面と向き合いながら自分の内面を整理しながら、自分の全精神をかけて自分の創造力を働かせ、言葉をこの世界に産み出し、大海へと漕ぎ出でなければならない試練の作業なのです。

だから言い訳や口実を隠れ蓑にしている人間には、そんな大それたことなど神がさせてくれるはずはないのです。
この本をよみながら、それに気づくことができたのです!

大発見でした。


私が神話の世界が素晴らしいと感動した頃、とにかく涙があふれてあふれて仕方がなかったほど大好きだった作品がダンテの「神曲」でした。河合氏をはじめ、他のパネラーの方々もダンテの「神曲」についての考えや意見を発表されていましたし、ギリシャ神話をはじめ、日本の神話や他の神話などとにかく神話を読むことを薦めておられました。

神話は物語としての面白さも当然あるのですが、それ以上に人間にとって大切なことや要素の多くがこめられています。私はそれを思い出すことができました。

神話はやはり、素晴らしい出会いと大切なメッセージをもたらしてくれました!



この一冊の本は、久しぶりに私は充実した時間を過ごさせてくれたばかりでなく、新年のはじまりにあたって今年の目標をも再確認させてくれた素晴らしい出会いでした。

「自成」
勝手に作った言葉ですが、これは今の私にぴったりの目標となりました。
自分に成る
自分自身になることに成功する
自分を育成する
自分の使命に忠実に成る
「自」に関することに「成」を目指していこう!

2009年、今まで語れなかった自分の人生の側面についても、語れる勇気を出していこうと思います。

今年も
全世界の人々が平和と平安をいただけますように。
神と人間が喧嘩や仲たがいをしませんように。
子どもの宇宙、死者の宇宙、天文学上の宇宙、老人の宇宙…それぞれの宇宙が他の宇宙に侵略しませんように。
私がわたしらしく、あなたがあなたらしくいられますように。




(・e・)

  • 2009.01.03 Saturday
  • 12:59