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  • 2017.06.23 Friday
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教育

高次の意識をもつ光の戦士たち


AFPの記事によると、米国では、幼稚園の最年少クラスで、未発達であるがためにそれが注意欠陥・多動性障害(ADHD)であると、誤って診断される子どもが約100万人に上っている可能性があると米ミシガン州立大(Michigan State University)が発表したそうです。

        planet4.jpg

日本の教育庁や各教育機関でも、この10年ほど特別支援教育を推進する計画に基づいてLD、ADHD、高機能自閉症等を含めた障害を持つ可能性のある児童・生徒を、どのように教育支援していくかを計画しながら実践しています。

その対策も大切ですが、実際の教育現場で、ほんとうにLDやADHDであるかのかどうかを正しく認識・特定できる教職員や保護者がどれだけいるか、間違った判断をしていないかどうかが確認されないまま推進されることが問題なのではないかと、私は不安に思っています。

先生や大人の言うことがちゃんと聞けなければADHD、じっと座っていられなければADHD、理解する力や発達が遅れていたり変わっていたりすればADHD…と、何でもかんでも大人側の見方が正しいと思う傾向が、誤った見解を増幅させてしまうのではないでしょうか。


もともと人間の赤ちゃんは、他の高等哺乳動物と比べて、誕生時は無能力です。 馬や牛の赤ちゃんは誕生時の能力が高く、生まれてすぐに自分で立ち上がり、しばらくすると歩けます。 それは生まれたときにすでに大人の基本的能力を身につけている「小さな大人」という感じだなのそうです。

人間の限りない能力の発展性と可能性の秘密がある人間の赤ちゃんは、もしかして早産ではないかと思われるほどに、特殊でユニークな生まれ方をしている。 そう考える生物学者もいます。

数年間かけて両親を中心とした周囲の人が、献身的に養育しながら基本的な能力を身につけさせていく、潜在能力が固定されずに生まれてくるからこそ、自由にその子らしさを形成することが可能となるのだといいます。

大半の大人がそのことをわかっていないから、上のような間違いが生じてしまうのではないでしょうか。

◇◇◇

インディゴ・チルドレンという言葉を最近よく耳にしますが、皆さんはご存知でしょうか?

個性的で、センシティブ、ナイーブで優しい愛の心を持ち、インディゴブルーのオーラを持っている霊的な使命を持った子どもたちのことを言うそうです。
人の気持ちを瞬時に読み取ることができ、強い意志と尊厳をもって相手の対応が誠実か嘘かなど即座に見抜く力を持っている人または魂を象徴するようです。


そのような光の存在は、呼び名は様々ですが地球上に確かな使命を持って送られています。

彼らは「光の戦士」たちです。

leaf2.gif

光と闇を持った人間が、愛と祝福に満ちた光の方へ向かうように平和を守り、また霊的に成長し高次の光の世界と繋がるようにとメッセージを持ってやってきたひとたちです。

私の周りにも実年齢に関係なく、高次の意識と繋がっている霊的な「光の戦士」「インディゴ・チルドレン」を思わせる人たちがいます。


彼・彼女らは「明らかに」普通の人と比べて感性や内なる特性、霊的な光が異なっています。
ことばや会話を通して理解し合う力以上に、霊的な光が瞬時に認識し合える特殊な能力をもっています。

反社会・反社交的、無秩序的、システムや決まりに従うことに意味を見出さない、権威権力に屈しない、おしつけには従わないなど、一見すると人間として大丈夫だろうかと思わせるとして、社会・家族・友達や世間から白い目でみられ、また苦難と試練に置かれ、現実の苦悩と戦ってきた人たちや、そのような特性をすでに持っている子どもたちです。


集団生活が苦手で枠にはまらない性格や、協調性の不足などが原因して、ADHD(注意欠陥多動性障害)やLD(学習障害)などと誤って診断をされ、病気でもないのに病人扱い、投薬治療、隔離生活などが行われているインディゴチルドレンも多数いるといわれています。


光の戦士たちは、綺麗な瞳、純真な心、優れた感性と芸術性を持っています。
そして大人の汚れた闇を瞬時に見抜いてしまいます。
どんなにたくさんの言葉で励ましたり慰めたり、なだめたり愛情をかけたりしても、それが真実の心からか偽善かを即座に見分けます。
嘘やごまかしが通用しないのが彼ら「光の戦士たち」なのです。

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私たち大人は、全ての人間は「善と悪、光と闇、白と黒」を持つことを魂レベルで知らなければなりません。
「光の戦士」と「闇の戦士」がいることも真実ですので、自分自身がどちらに属する人間なのか、内なる自分を確認しなければなりません。



そして闇に勝ちたいなら、闇と戦ってはいけません。
闇にどっぷり浸かっているなら、闇をもっと知らなければ闇にいた意味がありません。
闇は闇であることに意味があるからです。
闇で善を行なうのは偽善です。光の戦士は偽善が大嫌いです。



医学や精神科学が魂や光のレベルまで含めて研究され、光の戦士の本質を明らかにしてくれる研究者が現れることを願ってやみません。 祈り続けていきたいと思っています。
 
  • 2010.08.21 Saturday
  • 21:34

教育

さくら咲く 応援詩

明日に架けるきみへ


頑張って! 頑張れ! と云われて
ずっと頑張ってきたね

がんばり続けてきたね


寝たいときも 遊びたいときも
たくさんの誘惑に 心が折れそうになったときも

目を瞑って 合格した自分を想像して
努力と忍耐の衣装をつけて きみは一生懸命頑張ってきた


一時間 一日 一週間… 時間なんて関係なかった
目の前にあるのは きっとさくら咲く だけだったよね

嫌いだと思っていた学習も できるようになった
難問に挑戦して勝利したときの達成感も
味わってきたよね

       


座る 書く 読む 解く 記憶する 考える 

それらの行為は 常に継続される「時の鎖」として
きみの時間をつないでいたね

すべては未来の扉を開けるため
始まりという入り口に 自分の足で立つためなんだ

そんなことを 何百回 何千回も繰り返し
自分に言い聞かせてきた君


自分という人生の「始まり」のために 
青春の大切な時間を 捧げてきたよね

そして明日 扉を叩く 時が来た

君はきっと未来への扉を開くに違いない
だってそのために 全てを捧げてきたのだから

きっと きっと さくら咲く

    

君が 未来のどこかで 自己実現を果たすため
なぜ そこまでして学ぶ必要があったのかを 知るため
そして 人生に咲く花の香を 識るために。


合格祈願!
  • 2010.01.15 Friday
  • 17:01

教育

問題意識・・・

「3年B組金八先生」が毎週放映されています。
ドラマの主役ともなる生徒たちと同じ中学3年生の息子を持つ私にとって、このドラマの展開はとても刺激があって笑いと涙を誘い、毎回楽しく視聴しております。

今日も食事の後片付けを終えて何気なく見ていますと、授業で「アインシュタインがなぜ物理を好きになって勉強したか」という面白い課題についてドラマが展開されていました。
先生によると、「光」について疑問を持ったアインシュタインが、学校の先生に光について質問をしたけれど、誰も的を得た答えを提示してくれなかったため、彼は独学で勉強をはじめ、そしてやがて素晴らしい物理学の理論を発見して発表することになったのだというものでした。
そこで、金八先生はこう言われたのです。
「皆さんは自分自身のことについて、何か問題意識を持っていますか? 持っていないとしたらそれは非常に問題ですよ。 なぜなら問題意識のない人は成長しないまま大人になってしまうかもしれないからです。いいですか、問題のないところに答えはありません。」

私はハッとして思わずうなずいていました。
何故なら本当にそうだと思ったからでした。

試験でも勉強でも、問題が出題されなければ当然答えはないわけで、自分にとっても子どもにとっても全ての人間にとって、疑問や問題の意識がないところに、学問的成長も精神的成長も発展も何もないということに他ならないわけです。

私事ですがもし中学3年生の息子が、様々な問題を幾度も提供してくれたり、反抗や思春期独特の問題を定義してくれなければ、私自身にとって、親としての成長も人間としての認識力の成長もないわけです。
何度もぶつかり合いや話し合い、口論や反抗を繰り返しながら、大人になろうとする息子に私は体当たりしてきたわけです。息子にとって疑問や問題意識は大きな成長の糧であるように、私を含めた家族全員にとっても違った意味での大きな成長の糧でもあるということなのです。

逆に私がどんなに問題意識を持っていて、子ども達や家族に対してその意見や問題を定義して議論しようとしたところで、相手が問題意識を持っていなければ、ただのうるさい説教や文句にしかならないのです。
ということは、問題意識を持っている人が解決しなければならない。つまり、問題の答えを探さなければならない。ということなのではないでしょうか。そしてもし相手に問題意識を持ってもらいたいのなら、それは押し付けや強制的なものであってはまったく意味がないということでしょう。問題意識はそれぞれの個人の意識によって持たれる必要があるということなのではないでしょうか。

金八先生のドラマから話題は逸れますが、先日私と息子にとっても同じように問題意識についてのバトルがありました。

一つのある「問題」について、息子の「問題」についての捉え方と、私の「問題」についての捉え方の認識と理解力に大きく温度差がありました。 息子にとっては中学3年生としての答えと理解であり、私にとっては人生に大きく影響を与えるような重大な問題意識であり、答えでもありました。
ですから、当然バトルが発生したわけです。
そんなわけで、私は自分の身体と精神をかけてその戦いに挑んだわけでした。

息子はそんな私の心を知ってか知らずしてか、恐ろしいほど真剣な私に殺気を感じたにも関わらず、真っ向から戦いに挑もうとぶつかってきました。
後にどうなったかはご想像にお任せするとして、結果がどうなったかというと、二人はティッシュの箱をはさんだまま大泣きしながら、お互いの気持ちと考えをぶつけあうことが出来たのです。
最終的に愚息はきちんと理解してくれて、謝ってくれました。
私も行き過ぎた感情と暴言に対して謝りました。

次の日の朝には、二人は以前にも増して目標についての問題意識は近しい考えになったように思いました。
私はその一件を通して、ぶつかりあって良かったと心から思っていたのですが、今日の金八先生の放映を見てより一層その気持ちが確かな自信へとつながりました。



「問題のないところに答えはない」裏を返せば「問題のあるところにこそ答えがある」なのです。
私は自分の命のある限り、親として大人として人間として問題意識を持ち続けて生きていこうと思っています。
  • 2007.11.08 Thursday
  • 22:39

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