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  • 2017.04.13 Thursday
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地球学

「2012年の世界終焉」はどのようなものになるか?!


calendar.jpg

ロシアの声より引用***

世界の終焉は1000年や2000年にも予想されたが、今年2012年にはマヤ文明の暦が終了することから、新たな世界の終焉が予想されている。
しかし人類を実際に脅かすのはどのようなものなのだろうか。


   第一に、オリオン星団のベテリゲイゼ星の爆発が考えられる。この赤い色をした巨大な星は、地球から495光年から640光年離れているが、明らかに不安定 な兆候を示している。これが爆発した場合には、地球に強烈な放射が降り注ぎ、生物は壊滅する。これに似た現象は6500万年前、人間よりはるかに強い恐竜 さえも絶滅させたのだ。


   第二に、9月、地球には強烈な太陽嵐が到達する恐れがある。1859年、そのような嵐は電信網を混乱させ、心筋梗塞や脳卒中などの死亡率が高まった。今年 懸念される太陽嵐はそれよりもより規模の大きいものだ。NASA(米航空宇宙局)の専門家らの意見によれば、竜巻カトリーナが及ぼした被害よりも20倍大 きい被害を及ぼしうるとされている。

   2012年、隕石が地球に接近するという情報はまやかしだ。それが接近するのは2013年のことにすぎない。

   残っている問題は、人類が自らを維持する方法よりも、それを殲滅する方法をより早いテンポで身につけているということだ。

引用元: VOR ロシアの声.


なるほど!

上のような要素の他にも、宇宙人の襲来や世界統合を目指す陰謀によるテロなどもあるかもしれないし、戦争や核爆発によるもの、あるいは生物兵器によるウイルス拡散もあるかもしれないし。。。。。

地球滅亡の危機!人類滅亡というテーマほど面白いものはない。
普遍的象徴的な意味として「神話」に共通していますね。
人類に恐怖を与えると同時に、意識の活性化をうながすという意味では良い影響も与えますし。もっといえば「ここが変化のとき」と捉えて戦略を練ることだってできるのですから!

来年が楽しみだ==33

  • 2012.04.19 Thursday
  • 23:03

地球学

小さな子がニュースみて「ママ、原発て壊れてるよね!」

こんばんわ。

小さな子どもが公園で遊びたいのに、母親にとめられて室内で遊んでいました。
お母さんに「外で遊んじゃだめよ!」といわれている原因が、あの壊れている建物のせいだから。と。 あそこから毒がでているからだと。
テレビのニュース番組に映った福島原発の様子をみて知っている子どもは
「ねえママ、あの建物壊れてるよね? そんなにだいじな建物なの? 地震がこわしたの?いつなおるの? なおったら外で遊んでいいの?!」

さて・・
この子どもに、あなたならどう答えますか?

寝ようかと思いながらも福島原発の隠蔽工作が気になってしまい、ライブカメラをのぞいてみました。


今日もやっぱり煙がでています。
いらないものを含んでいる煙です。
JUGEMテーマ:ニュース

こちらは今日の原発。1:03あたりからもくもくもくwww
2011.06.22 00:00-01:00 / 福島原発ライブカメラ (Live Fukushima Nuclear Plant Cam)



こちらは昨晩の原発。1:34あたりからもくもくもくwwwww
2011.06.21 02:00-03:00 / 福島原発ライブカメラ (Live Fukushima Nuclear Plant Cam)




この動画をみたみなさん、福島第一原発で実際に何が起こっているのか必死に想像力を働かせて考えてみてください!
ここから何がでているのか?
単純に霧?
何かごみを燃やしている?

違います。
放射性物質の入った水蒸気です。

風向きが北であればどこへ?東なら?西なら?南なら・・・?
少なくとも地球の空気を汚していることは事実です。

私には何かを隠しているとしか思えません。
人間の命より大事な何かを。


  • 2011.06.22 Wednesday
  • 01:11

地球学

2010年12月21日の冬至皆既月食

月が地球の影に隠れる皆既月食が21日、観測されたようです。

◆ワシントンDC 皆既月食

アメリカ、ワシントンD.C.にあるワシントン記念塔の先端に満月が寄り添いウインク♪
12月21日、地球の影が月を包み込み錆色の輝きを帯びる皆既食の直前の状態の映像です。


ナショナルジオグラフィックニュース




◆2010年12月21日の冬至皆既月食ビデオ

皆既月食は太陽と地球、月が直線に並んだための現象。
国内では2007年8月28日以来、3年4カ月ぶりになるそうです。
冬至の皆既日食は372年ぶりで、次は2094年あたりだそうですよ♪


2010年12月21日の冬至皆既月食をタイムラプス(微速度)で撮影した映像を紹介します。
皆既月食中の月は真っ黒ではなく「赤銅色」と表現される赤黒い色に見えます。
何だか月が燃えているみたい(^。^)

Winter Solstice Lunar Eclipse from William Castleman on Vimeo.



◆おまけ

今年8月にオーストラリアで低速度撮影した天のミルキーウェイ。
幻想的で宇宙につながっているなぁ〜と深遠を感じ感動します。

2010 Queensland Astrofest Skyscape Time Lapse – Portrait Image Shift from William Castleman on Vimeo.



  • 2010.12.23 Thursday
  • 00:40

地球学

闇の世界で生きる生命




地中海の生態系が脅かされていることで、深海の生息環境が変化しているといいます。
温暖化による水温の上昇や海水の酸性化が最大の問題だと専門家は指摘しています。


深海に住む生命体を調べてその美しい姿を私たちに見せてくれる本があります。
「深海生物の謎」から一部引用して紹介してみます。

◇〜

深海の海底。はるか上空には豊かで青い世界がある。だが深海は暗く、冷たく、餌の乏しい世界だ。ひるがえって自分たちの肉体を考えれば、これはなんとバカげた設計なのだろうか? 高い体温?食べたもののほとんどを代謝に回す、とんでもなくぜいたくなシステムだ。こんな燃費の悪い体では凍え死にしてしまう。体温は周囲の温度に合わせてしまえばいい。動作は鈍くなるがかまわない。タンパク質をぜいたくに使ったこの筋肉もムダだ。第一、これでは重すぎる。肉体は海水の比重に近づける。そうすれば相対的な重量は0に近づき、動きやすくなる。


眼をこらすと時々、なにか光るものがある。発行する動物だ。
だが形はわからない。眼がムダだ。少なくとも映像を見るなんて無意味だ。
見えないのだから。
それにこの脳はなんだ?眼からはいってきた情報を処理して映像として認識するシステム。
こんなものは必要ない。脳はエネルギーを膨大に消費する。
だから単純な情報処理システムに置き換えよう。



考えることもない、眼は映像を見ない。
薄まった体は海水の中で軽い。動作はのろいがそれでいい。
泥を喰うやつもいる。泥の中に何パーセントか含まれている有機物を消化しているのだ。それはとんでもなく薄いスープをガバガバ飲んでいるようなものだが、それでもやっていける。



ところどころおびただしい、生き物が群がる場所がある。
そこはヘドロの海底、有毒ガスをまきちらす火山地帯、そして腐りゆくクジラの死体だ。
光の世界に住むやつらは、ここをおぞましい地獄だと思うだろう。だがここは、化学反応エネルギーがあふれている。それを求めて無数のものたちが集うのだ。
時には、斜面を流れ下る泥水の流れ、乱泥流もくる。
これは生物を生き埋めにして殺してしまう恐いものだ。だが…、乱泥流が運ぶ泥の中には、たくさんの有機物が含まれている。
泥を喰らうものにとっては、恵みの流れでもあるのだ。


化学反応エネルギー、そして乱泥流、これらは地球の地質的な活動、地震やプレートの運動と密接なかかわりがある。
地球の動きによって深海生物は命をつなぎとめているのだ。


〜◇

これは、深海生物の謎について深海探索や研究を重ねてきたフリージャーナリスト北村雄一氏がその著書の冒頭で語っている言葉です。

深海生物はなぜそこで生命が育まれているのか、またなぜ彼らは暗黒の闇という深海を住まいとして生きることに決めたのかを紐解き、また海洋研究開発機構を取材しながら探求されて著された魅力的な本です。



深海魚たちにとって「眼」は必要ないし「光」もいりません。
光がなくても生きていかれる生態システムを持っているからです。

普通植物は、生きていくために必要なエネルギーを光からとり出し、単純な化合物から体を作り上げることもできます。



ところがある種の水中にいるバクテリアは、光抜きで二酸化炭素から自分の体をくみ上げることができるのだそうです。
そしてそのために必要なエネルギー源は光を使う合成でなく、メタンや硫化水素などが酸素と反応したときに発生する化学反応エネルギーを使う合成の仕方なのだそうです。

そしてそれは、あらゆる海底で可能です。

メタンを含んだ湧き水、温泉、死体の腐敗による酸欠場所などでバクテリアは大量に発生し、そこへ貝がやってきて共生する。
その貝を食べる深海魚やエビが生存している…。


私たちのように「光」が必要な生物は地震を恐がりますが、深海の世界に生息している生命にとっては地殻変動が命をつなぐことに加担する嬉しい出来事なのだということです。


地中海に住む深海生物の4分の3は未発見だと考えられていて、発見される前に絶滅してしまう生物もいるだろうと科学者たちは懸念しています。


一方にとって善であることが、他方にとって悪となる。

地球という惑星には二元性はリアリティであり、避けて通れない真理として存在するのですね。



  • 2010.08.04 Wednesday
  • 13:36

地球学

霊の呼吸

今回は人間にとってとても大切な「呼吸」について考えてみましょう。

「呼吸」を理解するとき、3つの視点をもって考えてみることは大切です。

1.身体的な呼吸
2.時間的な呼吸
3.霊的な呼吸


単に「息をする」という意味において呼吸を捉えるより、もっと深い意味を認識できるなら、心身ともに健康で楽な人生を歩めるのではないかと私は信じているからです。



霊的な学びをしていると言語の中に共通の概念を見出すことが多くあります。

呼吸もその1つです。

「霊」と「呼吸」とは一つの同じ言葉として表現されていました。

サンスクリットでは「プラーナ」
ヘブライ語では「ルアチ」
ギリシャ語では「プネウマ」
ラテン語では「スピリトゥス」がそうです。


呼吸は霊、もしくは生命エネルギーの象徴として、古代から尊ばれてきたのですね。

呼吸の大切さを説いているアンドルー・ワイル医学博士は

「呼吸は健康とウェルネスの世界につうじる扉を開ける鍵であり、身体的・精神的・霊的な調和を高めるための技法として学ぶことができる機能である。ヨーガ、武道、アメリカ先住民の宗教から自然分娩、オステオパシー医学に至るまで、実に多様な伝統が、呼吸を生命機能でもっとも重要なものだと定めているのである。」

と語っています。


1.身体的な呼吸

呼吸とは息を吸って吐くことです(*^^)v

人が呼吸しているのをみると、たいていの人は呼気よりも吸気に力を入れがちなのだそうです。

呼吸は意識的にもできるし無意識にもできる、人体に唯一の生理機能で、完全な随意機能であるとともに完全な不随意機能でもある2つの神経系をつなぐ架橋なのです。

意識的に呼吸をコントロールできるようになれば、自律神経の活動状態を変えたり、さまざまな「不随意」機能に働きかけたり、また感情や健康をも安定・回復させることが可能なのだといわれています。

インドのヨーガの達人たちは、呼吸のコントロールを身につけることによって、薬なしで血圧を下げたり、心拍の乱れを鎮めたり、消化機能を高めたりすることができる。また情緒が安定し、精神の動揺から自分を遠ざけることが出来るようになるとも言われています。

大きな呼吸と呼ぶ「呼吸法」を実践すると、魂や霊にも大きな意味でプラスのエネルギーを取り込んだり、マイナスを吐き出したりすることが出来るようになるのですね。

最後に簡単な「呼吸法」を記述していますので、ぜひお試しくださいね。


2.時間的な呼吸

ヨガのマスター手引書によれば、ヨガによって心が静められると、時間━すなわち心理的な時間━が存在しなくなる。といいます。

文明化された生活の騒々しさのなかにいて、私たちはめったに時間を見出さず、『現在』に生きていることすら考えなくなりがちです。
過去を想い、未来を夢みつつ『現在』を過ごすという「時間」のなかで、静止し、永遠を体験できるようにさせてくれるようです。

また瞑想のマスターによると、休息時間の使い方について次のように言われています。

「昼のあとには夜が訪れるように、仕事のあとには休息が訪れる。精神修養をつんだ者とそうでない者とのあいだに差があらわれるのは、仕事と対比されるこの『休息時間』の使い方である。初心者は無用な会話や漫然とした考え事に、過去の体験の漫然とした回想やまだ起っていない出来事に対する心配に、あるいはまた、精神的エネルギーのかわりに金を使ったのだとすれば、すべての分別ある人から無分別な浪費家として排斥されてしまうようなやり方で、その他の多くは不経済なことに金を浪費してしまうのである。」(クリスマス・ハンフリーズの『集中と瞑想』より)


時間を「現在」「過去」「未来」という時の流れと捉えるのか、「現在」と「永遠」の二極化としてみるのか、あるいは「現実・物質的時間」か又は「心理的・霊的時間」として認識するのかは、人それぞれです。

そうだからこそ「時間」というトリックから抜け出して、魂の呼吸や霊の休息を養うことは大切なのだということですね。

時間を止めることが出来たら…!
と願ったことはありませんか?

物理的な時間を止めることは出来なくても、精神世界の中では無時間・無空間・無意識の状態は存在しています。


時間という概念のなかの「1点」で呼吸をする訓練をしてみることで、人は時間を超越した精神世界に繋がっていくことが出来るようになるのです。

毎日という24時間を過ごすのは心理的な時間を体験していること。
そして人が心理的な時間を放棄できるのは、「呼吸」が理解などではなく経験という神秘を体験し始めることなのです。



3.霊的な呼吸

    

深い呼吸をおこなうと、それだけ生命エネルギーは濃縮され、人体に取り込まれることで生命力は高まると考えるのは自然なことです。

霊=呼吸という言葉の定義が正しいと考えるなら、深い呼吸を行なうことは霊的なエネルギーが活性化されることにつながっていると考えても不思議ではありません。

からだの内側と外側の空気をつないでいるのが呼吸です。
意識と無意識の両方で働きかけをできるのも呼吸ですね。(身体的な呼吸で述べたように)

息を吐くことは収縮であり、息を吸うことは膨張です。

観測できるこの宇宙でさえも膨張していますが、いつか限界を超えたなら原初の一点に向かって収縮をし、宇宙という壮大な一呼吸が終わりをむかえることにもなるでしょう。

キリスト教の世界では「祈り」は霊的な呼吸であるといいます。
祈りを捧げている時間、人は「肉体」的には動きが止まります。そして時間を超えて神との対話に入ります。時間はその人の祈りにおいて、意味をまったく持たなくなるのです。そして祈りは深い呼吸を始めるのです。
聖霊が祈りを聞きに降りてきて、祈りを捧げている者の霊と交わるのですね。

瞑想も同じような本質的意味を持っています。

時空を超えた広がりのなか、日常意識から脱却し、呼吸に集中することで解脱にいたって光明を垣間見ることが出来るのだと思います。


呼吸は「自分」と「自分以外」をつなぐ架け橋だということ
そんな大切なことを呼吸は教えてくれるのです。


深い「呼吸法」をぜひ一度実践してみてくださいね。



まず、「フーッ」という音とともに口から息をすっかり吐き切る。

つぎに口を閉じて、鼻から静かに息を吸いながら、1から4まで数える。

息をとめ、とめたまま、こころの中で1から7まで数える。

今度は「フーッ」という音とともに、口から息を残らず吐き切りながら、1から8まで数える。
それで一呼吸になる。

また息を吸いはじめ、あと三回呼吸をする。


全部で四回の深い呼吸をする。

舌の先を上の前歯の裏側と歯ぐきの境目あたりにつけ、四回の深い呼吸が終わるまでそのままのかたちにしておく。
(肯定的で太陽的なエネルギーの流れと否定的で太陰的なエネルギーの流れという二本の流れは、舌の先と上の前歯の背面端にはじまりそこで終わるため、その二つの構造物を接触させておくことで、呼吸のエネルギーを消散させずに体内にとどめておくことに通じると考えられている)

つねに鼻から静かに息を吸い、口から吐き出すことを忘れないように。
舌の先は指定の位置に置いて、呼気は吸気の二倍の時間をかけてゆっくりと行なう。
一呼吸の時間が重要というのではなく、4・7・8の比率が重要。


この呼吸法は神経系に対して、天然の鎮静剤ともいうべき効果を発揮していきます。
深い呼吸を四回行なっただけで、意識に生じた変化に気づくこともある。たとえば超然とした気分、軽くなったような感じ、まどろみのような状態になっていたり。

この方法は自信をもって皆さんにおすすめできる。
どんな人にもきっとよい効果をもたらすはずである。


(引用:ナチュラルメディスン アンドルー・ワイル著 春秋社)

ワイル博士のナチュラル・メディスン
ワイル博士のナチュラル・メディスン
Andrew Weil,上野 圭一
  • 2010.05.30 Sunday
  • 14:04

地球学

マヤ長期暦の時代終末まであと939日

2010年5月27日 ワニ(Imix)・1

マヤのこよみでは26日、1ツォルキンカレンダーラウンドが終わりました。

1ツォルキンラウンドは20のデイサイン(日のなまえ)と1〜13の数字が組み合わさって、時を刻みながら進み260日で1巡します。
この暦は、古典期以来途切れることなく数え続けられてきました。





ツォルキン暦の始まりは1ワニ(イミシュ)。
そして13祖先(アハウ)で終わります。
2010年5月26日は「13祖先」の日でした。
そして27日から新しいツォルキンラウンドが始まったのです。


古代マヤの暦は、長期暦の石碑に記されたものによれば、13バクツン(現在の世紀)は、4アハウ(祖先)の日に終わるだろう。とその終焉を予言として残しています。

つまり、2010年5月27日(1ワニ)からあとツォルキン暦ラウンドがおよそ3巡り半しかありません。(修正しました)m(__)m

その年は2012年12月21日でその日が4アハウになり、13バクツンという13個の世紀の束をくくった一つの太陽の時代は終わりを迎えます。


1サイクル=2010年5月27日(1ワニ)〜2011年2月10日(13祖先)
2サイクル=2011年2月11日(1ワニ)〜2011年10月28日(13祖先)
3サイクル=2011年10月29日(1ワニ)〜2012年7月14日(13祖先)
ラスト=2012年7月15日(1ワニ)〜2012年12月21日(4祖先)終わり

1バクツンという長期暦は144,000日という長さをあらわしています。

そして13バクツンは144,000日×13で5125年という「時代」をあらわします。
マヤ暦の5125年という長い歴史の時代が終わるという意味なのですね。


私はその長い13バクツンという時代の終わりに立ち会うことが出来るであろうことをとても光栄に思っています。

古代マヤの人々は、ジャングルの中に立てたククルカンピラミッドやカラコル(天体観測所)から夜空の星を眺め、1カツンや1ツォルキンを計算しながら、その時を生きていました。



彼らには13バクツンという一つの時代の終わりが、どんな世界になっていて、人類がどんな生活をしているか予測はできなかったと思います。


私たちが生きている現代、社会、科学や天文学、宇宙、すべての人類の進化・進歩を知らないまま、13バクツンの終わりを夢見て時の暦を巡り続けていたのだと思います。


古代マヤ人が遺産として継承し続けてくれた暦の大きな時代が、
あとわずか「939日」で終わりとなります。


27日から新しい260日というツォルキンラウンドがスタートしました。

アステカの「フェイェルヴァーリ絵文書」と「マドリード絵文書」には、260個の●が花弁状に並んでいます。 
260日という期間は、人間の妊娠周期に関係しているとも伝えられていたそうです。


「ワニ」というサインは集合無意識の王者です。
     

何もないところから生まれた光と言葉は、全てのものの源泉として自然界にも人間界にも宿っています。そこは決して土足で踏み入れることのできない純粋な精神と大地の下に眠る原初の精霊の世界。
マヤでは「ワニ=イミシュ」は、怪物として象徴されているのと同時に熱帯の水場に見られる「睡蓮の花」を表すシンボルとしても伝えられています。



そこに眠っているのは人類のもとにある豊かな可能性…
宇宙の海を泳ぐワニは、260の始まりとしてどのような霊的思念を私たちに伝えてくるのでしょうか。


昨日はマヤの神々と古代マヤ人の功績に感謝と祈りを捧げ、ろうそくの光を天に届けながら心を解放して過ごしました。

ワニのトレセーナ

2012年 地震と香(Caban)

新しい1ツォルキンラウンドの始まりの日。
心を新たに、運命を精一杯生きていきたいと思っています。


  • 2010.05.27 Thursday
  • 14:09

地球学

トレジャーハンター

先人たちが残してくれた大いなる遺産は、世界中に限りなく散在しています。

「マヤ文明・マヤ暦」もその1つですが、もちろんそれだけではありません。 神話や世界遺産、文字や言語をはじめその起源がよくわかっていないすべての神秘を含めれば、想像以上の「宝」を地球は未だ懐に眠らせたままなのかもしれません。

   

そして遺産を宝とするならば、地球にとっての宝には二通りの宝があるのではないでしょうか。

一つは人間が認識できる宝、もう一つは認識するための鍵を持たずして認識できない宝、です。

大地から石油や埋蔵金、金銀宝石が見つかれば、それはもちろん認識できる大地の宝ですし、文化遺産や古文書、ピラミッド、遺跡のような建造物も認識できる宝です。

ところが普通は見逃されてしまいがちな非言語的な文化や象徴、絵画的な言語や神話など解読するために必要な「智恵」を持たずしてその価値が認識できないものが二つ目の宝です。

曼荼羅やタロットカードもそうですし、マヤの象徴絵文字やシンボルも同じような意味を物語っています。

その神秘的な意味や力を解読するためには、理解に至るひらめきを得ることや私たち自身の深層を旅することが大切なのです。

二つ目の宝を「宝だ!」と認識するためには、その不可思議で神秘的な世界の魅力へと、自分自身のこころや精神を差し出すことが必要になります。

それは私たち内奥にある自己に関する先祖の知恵へと達するため、普遍的な世界にむけて架け橋をわたっていくことです。



そしてその旅を成功させるためには、勇気と探求の精神という「鍵」を持たずして到達できません。




心理学者ユングの元型論についても、同じような適用がなされるかもしれません。無意識の深層世界へと下降していくとき、全人類の感情的関連の根底に存在する元型に出会い、そこで彷徨ってしまうと無意識が拘束され憑依の状態におかれてしまい、精神の病となって危険にさらされてしまうのだといいます。


また逆に錬金術師の目的である「精神的合一」という達成や、自己実現、一なる宇宙との結合、個性化過程、自分探しの到達、悟りと呼ばれるような認識に至ったものには、その宝の在り処が啓示され、宝の持つ素晴らしさや溢れるほどの知恵による恩寵を手にして、その後の人生を歩むことができるのです。


自分の中に存在する「自我」「自意識」「自己(セルフ)」と呼ばれるものと手を取り合って、旅の終わりに求められる全体性、対立物の統合、到達に向かって人間は旅を続けていかなくてはならないのです。


旅を続けていく途中では様々な困難にも出会いますし、味方にも出会います。
そして常にあるのは前進の道だけ。
この旅に決して引き返す道はありません。

   


褒美として、天は地球に2つの異なる宝があることを良しとされました。
すべての人間はトレジャーハンターです。

この世に存在する二通りの宝、どちらの宝を手にするかは個人の自由意志に委ねられています。

古代マヤ文明マヤ暦の神秘や象徴に惹きこまれ探求し続けている私は、第二の宝を目指すトレジャーハンターの一人です!
必ずや宝を手にするその日を楽しみに頑張っています(^_-)-☆

  • 2010.01.17 Sunday
  • 13:14

地球学

草食系男子と肉食系女子…何か問題でも?!

人間の性差を決めるのは「肉体」である、と人間は考えています。
男は凸形で前に出て行くことの象徴として、女は凹形として常に受け入れていくことの象徴として、その心の特長が形や身体に見合うことが「男らしい」「女らしい」とされているのが現状ですね。



赤ちゃんは自分が男だか女だか知りません。
性差によって「いい」「悪い」「普通」を決めているのは、赤ちゃんじゃなくて親や大人です。男の赤ちゃんが力強く泣けば「男子らしい泣き方」となり、女の赤ちゃんの泣き声が小さければ「女子らしい泣き方」となる。赤ちゃんにとっては意識していないのにそうなるわけですから、大きなお世話ですよね。

男であることや女であることは、人間が社会生活を送るある一定の意識レベルまでは、とても大きくて大切なことなのですが、「科学や精神」を超えたレベルから垣間みてみると、そこでは性差はあまり意味を持たないことがわかってきます。


現に最近では、世界中の「科学」の最先端の現場で、次々にいくつももの奇妙な現象が生じているようです。

世界各地で「科学と精神」をテーマに大きなシンポジウムが開催されています。会議には国際的な科学者たち、イギリスのノーベル物理学者ブライアン・D・ジョセフソンやロンドン大学理論物理学教授デイヴィッド・ボーム、バークレー大学素粒子物理学教授フリッチョフ・カプラといった超一流の物理学者をはじめとして、電子工学、天体物理学、核科学、神経生理学、精神病理学、分析心理学、超心理学、東洋哲学などを専門とするその分野の第一人者たる科学者たちが一堂に会して、「科学を超えたところ」にあるものについて、熱心に論議がくり広げられているのです。

わたしたち人間が、自分たちの想像力や知覚を通して理解している様々な概念といったものがまったく通用しない領域や、思考の限界をはるかに超えてしまった超・最先端科学の行き先を突き詰めて考えてくと、言葉の次元を超えてしまう、ということなのでしょう。

そういう世界から見る「男」「女」であることの違いは、意味を持たないのだということが言葉を超えて理解できるのではないかと考えています。



極端な話、地球で宇宙人に遭遇したとしたら、その宇宙人を「あら、男なのね、まあ!女の宇宙人!」などと感じる余裕すらなく、地球外生命体として認識するのが精一杯なのではないかと思うわけです(*^^)v

最近は「草食系、肉食系男子」という言葉が流行となりました。

ウィキペディアによると、「草食系男子」とは「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系ではない。異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う草食系の男性のこと」だそうです。

男女という性差を含めた見方からいえば、「中性的な存在」と認識出来そうな感じの意味を持っていますね。
それが次世代に向かっての自然な流れであることを、最近は強く感じています。

〜☆★〜

何年か前、「√人(ルート人)=原人間 という概念」というタイトルで論文を書いたことがあります。

√人が導き出す答えは、「人の平方根をイメージする」ことに始まります。

2の平方根√2とは、2乗すると2になる数を意味しています。ですが、周知のように√2は無理数であって、整数の比で表わすことは出来ません。
1.41421356...と続く数の集合です。2乗することで限りなく2に近づくことはあっても整数として統合されることはありません。

√人も同じように、人の平方根は、その元となる人間素が2乗されたとき、限りなく本来の人に近いものになる、という要素を持っています。


また、原人間という概念は「男女両性具有」という概念を指しています。

「男女両性具有」という概念は、中国にも存在しています。
「礼記」という書物には、善を行う霊的な4 つの動物が登場します。不死鳥、亀、龍、そして一角獣です。
別名オス・メスと書いて麒麟とも呼ばれ、4 足動物のうちで最高の存在で、両性具有の性質を有するやさしい存在として描かれています。


    

フランスのルーブル美術館、ローマ彫刻の部屋には、『ヘルマフロディトス』という美しい作品が展示されています。ヘルマは、ギリシャ神話に登場する芸術の神ヘルメスと、美の神アフロディーテの間に生まれた男女両性具有の象徴像でした。

そもそも人間は、男女二性ではなく、両性具有の完全体であったそうです。
プラトンによると、人間は男と女という二つの性に引き裂かれてしまったが故に、その原初の姿に戻ろうとして、男は女を、女は男を求めるのだと考えていたようです。


男性性と女性性が一人の人間の中に両方持っていることが人間にとっては当たり前な原初の姿なのだと思われる概念が「男女両性具有」には含まれているのではないかと思われます。


話を戻しますが、草食系男子が女性的な優しさや心遣いをもっている存在であるとしても、また肉食系女子が雄雄しい男性的な魅力を持っているとしても、世界的社会的に何か問題があるのでしょうか?
その視点こそが先ほどの言葉を超えた次元から見つめる視点となり、つまりは人間が自分自身を知ることになるのではないでしょうか…。
男っぽい女性であること、女っぽい男性であることは悪いことではないし、ある意味自分の内面を受け入れて自分の女性性、男性性に正直になっている、ともいえるのだと思います。

     

確かに絶対的真理として、男女の結合なしには子孫の繁栄は存続し得ないという事実があります。

これを先ほどの√人に合わせて見てみると、√人×√人=男女両性具有=純粋原理=愛=男女結合ともなります。

ルートを辞書で引くと、「平方根、根、語源」とあります。
r o o t を英語の辞書で引くと、「根源、元、核心」であり、「子孫」ともあります。

異性を愛するということの裏側には、男であることや女であること以上に人間としてのルーツや愛を探し、元となる素の異性なる自分と出会う、という意味があるのかと思います。

2012年以降人類は、男女という枠を超えた価値観や視点が絶対に必要となる時代に入ります。光の意識や霊的な次元では男女の相違はありません。違いがあるだけで同じ存在です。

自分の異性を見る目を考えてみること、自分自身の女性性、男性性を見つめてみることは、2012年に向けて、また次なる年に向けてとても大切なことなのだと思っています。

よいお年をお迎えください(^_-)-☆

  • 2009.12.31 Thursday
  • 01:04

地球学

真の自由と愛ある1タラント

「自由であること」と「自由になること」は私の中では大きく違っています。

自由であることは、今の日本では国民に与えられ保障されている無色透明な法律です。
誰もが自分という個人の人権と自由を保障されている、そして「あなたは自由なのだから」として人生の自由選択を求められています。
でもこのことが「自由であること」だと私には思えません。
「自由であること」という制約付きの不自由なのです。



自由になることとは、すべての制約から自分が解放されることです。
すべての制約…つまり、すべて当たり前だと信じて思って生きてきた価値観から、規則や道徳観、そして人間であることの基本的概念、既成概念、固定概念などの全てから自分の意識を放つことが出来たとき、本当の意味での「自由」が与えられ、「自由になること」が出来るのだと思うのです。
だからといって、好き勝手なことをすることが自由ではないのは当然です。


人が生まれたときから与えられているものは「自由」なのではなく、「自由になること」への制約つき自由なのだと思います。

何故このように「自由」に拘るのかと言うと、この「自由」は「愛」と同じような性質と二面性を持っていて、恐ろしくてかくも素晴らしく魔法のような「ことば」だからです。

「あなたにはどちらを選択してもよいという自由が与えられてるわ」
「君には自由意志があるのだから、それを尊重しよう」
「お母さんはあなたを信じてる。だから自由に生きていくのを応援してるじゃないの!」
「お願いだから俺を自由にしてくれ!」

これらの「自由」が本当の意味での自由について語られているのかを考えてみてください。

自由は人に与えられるものではない!
自由意思とは、尊重されるときとそうでないときがある!
自由に生きることが自由になることではない!
自由になりたいのに自由は与えられない

そんな意味合いが隠されてはいませんか?

すべての制約から解放されて自由になっている人間には、どれが真の自由な姿か偽りの自由かを見分けることが可能です。そして自由の素晴らしさと恐ろしさを知ることで、自由を敵にも味方にもつけることができる才能を身につけることも出来るようになります。

「愛」を武器にして生きる人がいるように、「自由」という武器を手に入れて生きていくのです。



お笑い番組のエンディングで、ギターを弾きながら「○○イズ フリーダム! ○○イズ フリーダム…」とネタを歌にしながら、最後に「○○は自由だ〜〜!」と叫ぶギャグがあります。
いつも楽しく拝聴しているのですが、何とも自由の心理を上手くつかんだものだと感心させられています。
「自由」は常にどちらかを選択する意志として、彼のネタに取り入れられているようです。
星

ところで人間には、誰にでも何か特別な力やタレントが与えられています。
しかしその能力やタレントにその人自身が気づき、現実に活かせるか否かなどは誰もわかっていません。
そしてその力が活かせるとしても、そのことがその人にととって幸せであるとも限りません。
ここでいう「タレント」とは、聖書の「タラントのたとえ」に出てくるような意味として捉えます。

「タラントのたとえ話」については、検索をすればたくさんのサイトがありますので、一度読んでみてください。(幸せのおとずれ タラントのたとえ話)

タラントという言葉を英語でいえば「タレント」なのですが、能力や才能、クリスチャン用語でいえば「賜物」として理解されてきたようです。
それらはすべて、この「タラント」のたとえ話から派生してきた意味のようです。「与えられたタラントを用いて…」というふうに、与えられた賜物・能力を生かして…という意味で使います。

本来の「タラント」の意味は、重さを量る「はかり」のことで、重さ、金のをあらわす単位にもなったようです。
聖書では当時、1タラントは6000デナリとあります。1デナリは、労働者の一日分の給料に相当します。一日1万円と見積もれば6000万円、安く見積もって5000円としても、およそ3千万円という金額になります。




私には、このタラントこそが「自由」や「愛」に近いものとして感じられます。

1タラントをもらった人、5タラントをもらった人、それぞれその人たちは感じ方も使い方も違います。
タラントを活かすも殺すもその人にまかされているのですが、そこには損得感情や欲も重なって正しくタラントを用いることができないかもしれません。

愛については特に、そのような場面を想像させる多くの出来事があります。

1タラント分の愛を与えられているひとは5タラント分の愛を与えられている人を羨んだり、自分を惨めに思ったりすることがあります。また、1タラント分の自由しかないと感じるひともいれば、5タラント分の自由が与えられていることを愛情がなかったと感じて誤解している人もいます。
自由や愛は、はかりでは計れないものであり、お金に換算することもできません。
だからこそ、その人自身の考え方によるところが大きいのではないでしょうか。

究極のところ、その力やタラントはその人の「生き方」「考え方」「思い方」に影響するものであって、どんなに素晴らしいタレントを持っているとしても、そのような自分を生きることが出来るかどうか、タラントを活かせるかどうかは、本人にまかされているのではないでしょうか。

同じように、自由も愛も、与えられているものとして理解し、量りやものさしではかられ、多い少ないで人生を束縛していては、増えるどころか自分を殺してしまうに違いありません。
最初は与えられたものであっても、最終的にはほんとうに自分のものとして受け止め、そのタラントを何倍・何十倍・何千倍にも増やすことができる…それこそが、真の自由と愛を手にすることなのではないかと思うのです。

ちなみに私が本当の自由と愛を手にすることが出来たのは、44才の頃です。
人間とは欲深く、自我が強く、自分を知らず、思いのほか手こずる生きものです。
自分が何タラントもらっているかなんて、本当は関係ないのです。

真の自由を手にすることは、鳥が空を飛ぶための羽を手にするようなものです。
魚が海の中を泳ぎ回るためのエラ呼吸を手にするようなものです。
春に芽生えたタンポポの花のようです。種を残すための綿毛は、風に乗って飛ばされますが、そこにもうタンポポの意志などは通用しません。

自由になれて初めて気づいたことは、全ての制約をつくっていたのは法律でも社会でも親でもなく、自分の心だったということです。
私に与えられている真の「自由と愛ある1タラント」は、私だけに与えられていたものなんかじゃなくて、皆に与えられてるものなのです。ただ違うのは、その種類や形、色なのであって、そのタラントが一番輝ける場所が、その人自身なのだということなのです。
私に与えられたタラントを輝かせることができるのは、私だけなのです。
同じように、娘、息子に与えられているタラントは、彼ら自身の中でしか見つけられず、輝けない。
そんなものなのかもしれません。

あなた自身の中に眠っている「真の自由と愛ある1タラント」は、何なのでしょう?!
(*^_^*)

みなさんの心が真の自由を得られるよう、祈っています。
  • 2008.08.23 Saturday
  • 13:24

地球学

覚醒

アメリカ・イリノイ大学のシューマン博士が発見したという「シューマン波」という周波数振動のことをご存知でしょうか。
「シューマン波」とは、地球の脳波と呼ぶことができるようなもので、人間がリラックスしたときのアルファ波やまどろみ状態のときのシータ波と同義のようなものです。
シューマン博士によると地球は、アルファ波とシータ波の中間に位置する7.8ヘルツにあたる脳波振動の中、あたかも母の子宮内にいたときのような状態のようにして、数十億年もの時を過ごしてきたといいます。

ところが、この地球の脳波に異変がおきているというのです。
1980年ころから、次第に上昇を始め、7.8だったものが2000年には13ヘルツまでになってしまったというのです。
しかも、これはアルファ波の上限と同じで、ほぼ「覚醒」状態と等しい脳波数になっているということでした。
さらに、2012年ころになるとシューマン波は20ヘルツ程度にまで上昇する可能性もあるとされています。

詳しくは学研「ムー」No.317の特集を読むと詳しいことが掲載されているので、参考にしてください。


ムー 2007年 04月号 [雑誌]
ムー 2007年 04月号 [雑誌]

世界中で様々な学説や仮説が論議され展開していく現代、地球環境の変化や破壊、高度な文明やネットワークという仮想世界の高性能化を生み出し、地球の時代はまさにターニングポイントをむかえています。
カオス・ポイントという人類の文明・文化の転換点説を唱えているアーヴィン・ラズロ博士によれば、人類は逆戻りできない重要な岐路にさしかかっているのだといいます。
そして人類は二つの道のうち、どちらかを選ばなければならないのだと。
☆一つは「崩壊への道」で、対立と暴力に支配された世界
☆もう一方は「新しい世界につながる道」で、人々は意思の力を結集させる創造力の波がわきおこる新世界

この選択に未来を託し、人類は自らの運命を決定していく時代が到来するというのです。



地球が持っている本来の波動は、穏やかなものでした。
赤ちゃんを身ごもったことのある人にはわかると思いますが、妊娠後母はとても眠くなりますし、匂いに敏感になったりつわりという苦痛が襲ってきたりします。何とかそのような最悪な時期をやり過ごすまでお母さんは本当に大変です。
その後安定してくると、胎児は子宮の中でリラックスした状態になっていきます。指しゃぶりをしたり、運動をしたりしながら母胎に守られた羊水の中で、まどろみとともに成長していくわけです。

胎児に意識はないかもしれませんが、それは意識がなくても生きることができるような環境にあったからに違いないのです。
胎児は自分の意思で何かをできるわけではありません。すべては母なるものに委ねられているのです。
母が苦しめば胎児も苦しみ、母が喜べば胎児も嬉しいという具合に、胎児にとっては母がすべてなのです。

そのような穏やかで安心のある状態を放れてまで人間としてこの世界に生まれてくるということは、一つの独立した個人という意思を持つ自由を得るためであり、自らの運命を決定していくことができる未来を持つことに他なりません。

シューマン波が上昇し地球の意識が覚醒しはじめているという説も、ラズロ博士のいうように「カオス・ポイント」という重要な選択をする時代に来ているということも、母なる大地から放れ父なる宇宙の中に誕生する時代が到来することを証明しているのだとことを裏付けるに相応しいと私は思っています。

「意識の覚醒」は小宇宙人類にとって永久不変の目標であり、大宇宙に存在する地球にとっても同様普遍の目標であるはずなのです。

胎児が自分の意思を持つ必要のない時期は、誕生とともに終わります。
しかし胎児がこの世に「おぎゃ〜っ」と生まれた瞬間から、一人の人間として意思を持つかと言えばそうではありません。
保護されていなければ生きられない存在の時期を通ったのちにしか、自由意思は持つことが出来ないのです。
その時期にあるのは、自由意思ではなく「無意識」と「本能」だけなのです。



意識が覚醒することで、人間としては一体何が変わるのでしょうか。
覚醒後何か特別思いっきり変化してしまうということは、あまり考えられません。たとえば超能力が持てるようになるとか透視や霊視、幽体離脱などによって意識と身体を別々に操ることができるようになるとか、そういうことはあるかもしれませんが、外見がいきなり変わったり顔が別人になったりすることも、人体が死んでしまうというようなこともないように思います。

しかし非常に怖いのは、自分の意識が覚醒することで他の意識に繋がることが容易になるため、悪い意識に影響を受けやすくなったり、ともすれば自らの意思で悪用したり操作したりすることも可能となるということです。
新興宗教やカルト集団、テロリストやヒトラーのような独裁者などの登場も、そのような影響を受けていないとも限らないのではないでしょうか。

地球も同じではないでしょうか。
人類が未来を選択した時点から、小宇宙と大宇宙は呼応して共時性が働き始めるのです。
人類の意識汚染が続く限り、地球は破壊を免れません。
「崩壊への道」を選択することでしか生きられない人類をまず減少させることが、地球環境破壊からの脱出になると知る人が少ないのも残念なことです。


アセンションによる「次元上昇」と、自己の「覚醒」と地球の「覚醒」は、誰もがむかえる新しい世界への入り口を示唆しているキーワードに他なりません。
「生きる」か「死ぬ」か、「天国」か「地獄」かを選択できるのは、今のところ「人類」の意思に他ならないのですから。
  • 2007.11.03 Saturday
  • 11:38