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  • 2017.04.13 Thursday
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魔法

てきとうカボチャ

 みなさんこんばんわ。

人生の悩みは本当に尽きないものですね。
1つ終わってもまた別の悩みがやってきて、いつになったら幸せの終着駅に着くのか。。

欲ばったりなんかしない。
ほんの小さな幸せでいいのにって思ってせつなくなりますね。



人生の旅路で崖っぷちを歩いてきて、そろそろ修行の旅路にも疲れてきたとき、のどかな草原を越えて山奥の寂れた駅までくると、人はふと考えるものです。

「あれ〜? わたしの求める幸せっていったいどんなものだっけ?」
「人里離れて一人、しがらみのない生き方のほうが楽かもしれない」


それでもやっぱり現実は辛くて、人間関係も仕事もうまくいかない。
家族も夫婦も幸せの歩み寄りからは遠ざかるときもあります。
そしてまた電車に乗り込み、次にたどり着いた駅で思うかもしれません。

「?!まてよ。。 幸せでない。なれないと思ってたのは私のせい?」
「えっ?! 私が真面目に考えすぎたせい?」

幸せの終着駅は本当はどこにもない。
あるとしたら天国でしょうか・・・(^^)v・・・?

ん?!


いや・・・ある!


あるんです★\(=^‥^)/'`*:;,


それは「てきとうカボチャ」を手に入れること。


真面目な人は真面目が邪魔をしちゃう。
不真面目な人はちゃらんぽらんが邪魔をしてしまう。
だから不真面目な人はちゃんと人生の修行道を歩くように修正が必要で、逆に真面目な人はテキトー加減が必要なのだそうです。

カボチャは甘いかどうかわからないですよね。
見た目では判断できないし、食べてみないとわからない。
人だってそう。
いい人かどうかなんて付き合ってみないとわからないし、どんなにいい人でも中味は空っぽだったりする。つまりみんなカボチャみたいなもの。
甘そうに見えるのに実は結構しぶかったりスカスカだったりする。

真面目さが邪魔をし過ぎないよう適度にテキトーにしていると、人生楽に生きられる。
幸せはアセンションの向こう側にあるものだから!

アセンション13のエネルギーと、内宇宙のスターゲイトチャクラを持っている女性が、私に教えてくれました。


私の脳にはけっこう「ショック」なアハ体験でした!


わたしは結構「真面目」で「真面目に拘りすぎて真面目さが邪魔しちゃうひと」なのです(・_・;)
しかも幸せの終着駅は天国にしかないと思っていましたから!(^_^;) ざんね〜〜ん!

でも「てきとうカボチャ」があったら、もう少し人生も楽しくなるのかもしれない!
楽になるかもしれない。
幸せの終着駅に行く車窓を楽しんだり、旅や自然と友達になったりしながら人生の幸せをいつのまにか手に入れられるのかもしれない。

そう思います。


真面目すぎて幸せの終着駅に拘ってしまうあなたへ
人生の旅路で「てきとうカボチャ」を味わってみてください(^^)v

適当さが結構可笑しく、おもしろく、旅路の背中が軽くなると思いますよ♪



Special thanks to my ascended sister "K" 13-Ben!

  • 2011.02.18 Friday
  • 21:21

魔法

光と愛とエロスの結合


人はどうして愛する人と結ばれたいと思うのでしょう?


cut_wafu_cat_b_orange1_200.jpg

ビビビっと不思議な愛のテレパシーが走ってしまうと、なぜだか相手のことが気になって仕方がない。 愛のキューピットは幸せの矢のほかに毒矢ももっているのではないかと思いたくなるときもあったりして。。。(^_^;)

さらにエスカレートしてくれば「1つに結ばれたい」という願望が自然にわいてくるのですが、それを「本能」や「エロス」と呼ぶだけでは納得できない。
そんな経験がおありではありませんか?

人間に動物的本能がそなわっていて、子孫繁栄のため遺伝子的使命が果たされることは、人類存続のために不可欠なことくらい、誰でも知っています。

でもそうではなくて、もっと違う感覚によって出会わされていたり、絶対にありえないような方法や運命で結ばれてしまうことだってあるわけですよね。

一見タブーに思われがちな「愛の行為」や「肉欲」について、今日は違う視点から書いてみようとおもいます。


旧約聖書において、性行為は「知る」という動詞に翻訳されていることが多くあります。
「そしてアブラハムはサラを知り、彼女は身ごもった」というように。
「知る」と翻訳されているのは偶然ではないようです。
それはそのような知識を得ると、新しい何かが生まれ、かくしてそこに新たな生命が訪れる道が開かれる。という意味なのだそうです。

熱烈なキリスト教徒だったサンダー・ジンクという人は、キリストと霊交した体験者として有名です。
この「霊との交わり」は超越的な接神体験ですが、これは神霊との交流儀式として現在も「芸能」や「ダンス」にその意志は伝承されています。

フラダンスや神楽、神輿において、恍惚感や陶酔感を体感し、霊的な交わりを具現化させています。

1 真如 リズムと歌で、神々しい雰囲気と聖なる場を整える(真如の導入)
2 没我 そのリズムで踊り手(担ぎ手)は陶酔し、やがて「没我」となり我を忘れていく。
3 天応 そこに神霊が「感応」し、恍惚感がダンサーを支配する。
4 天恵 すると神から返答が現われ、感覚によって「天恵」が現象化する。(感覚的に天を捉えることができる)

鎌倉時代の「踊念仏」や、スーフィーのダンスも同じプロセスを持つ古代の儀式です。


また性行為やエロスは、錬金術的な意味でいえば「聖なる火」です。
この火を維持することは、自我の超越、自己発見という「大いなる業」「個性化」への道を探求する第一歩です。
そして愛の中で自分を失うことは、一種の「死」の体験であり、純粋に自我中心的な存在が死ぬことにつながっています。

錬金術について詳しいことはこちらに書いています。
 ★錬金術とは



インドの信仰(カルト)体系のひとつに「タントラ」があります。
タントラを説明することはここではしませんが、基本的には自分の肉体、情緒、精神のなかに発見することのできる、あらゆるエネルギーをふるい立たせて、真実にたどり着く悟りへと運んでくれる乗り物である肉体と、それらのエネルギーを結びつけることを行なうことが愛の行為となっている、という考えです。

あらゆる当たり前に行なう人間的な愛の行為は、宇宙的な愛を表現する技の影で、神的な原初の技に近づくことができるといいます。

インドの伝統的考え方によれば、真実と一体になる、またはもとの1つの状態へと戻る道は、禁欲と意志力によって、身体と精神のすべての機能を抑圧することだとされています。
しかしタントラでは、人間の無意識に眠っている記憶の蓄積と、心的な反応が目覚めさせられ、もともと人間が持っていた純粋なエネルギーの状態に復元することができる、つまり感覚として与えられたもろもろの興奮や快楽は、悟りの状態へと戻る変容のための原料なのです。
そのことによって、男女両者が分離が生じる以前の状態を体験するという光の結合です。
それは比べることのできないような歓喜であり、人類創成以前の創成を越えた存在の歓喜なのだとタントラは教えています。

ai.jpg


霊的な交わりは神との一体感であり、力強い神への賛美と帰依を語りますが、フラのダンスや真の芸能という古代的なプロセスは、人間に喜びと生きる力を与えるものです。
それと同じようなものが、愛の行為にもあるとわたしは思っています。

先ほど述べた1から4のプロセスを見ると、それが愛の行為にも当てはまると思いませんか?
この4に至る道こそが、「愛の行為」の目的であり「知る」ことの本質であり、「聖なる火」をもって「死」へと至る体験であり、タントラの教えなのではないでしょうか。

死と再生の秘儀に参入するイニシエーション=愛の行為
ある種の疑似体験であるとも言えるのではないでしょうか。
私はそれを「光の結合」とよんでいます。

肉体的な結合はそれのみに留まるものではなく、インスピレーションやテレパシー、霊感によって導かれた相手の光に結合することが目的であり、古代的なプロセスを踏むことがその人本来の自分に至る旅の一部なのではないか。と考えるのです。


愛する人と結ばれたい。
抱かれたい、抱きたい。。と思うことは肉体次元レベルでは普通のエロス本能ですが、光の霊的次元レベルからみたら、それはスピリチュアルなパワースポットへの入り口であり、その行為に至ることは愛の儀式を通して得る光の結合と恍惚感、至福の喜びなのかもしれません。

そして本来自分と相手それぞれの光が輝くために、導かれて出会わされた縁であり、タントラの教えにあるように、人類創成以前の創成を越えた存在の歓喜を体験するために授かった「霊的本能」なのだと。

結婚とは「愛の儀式的行為を二人だけの間で行い、死と再生、光への到達、霊的な秘儀に参入することを生涯ともに成し遂げていきましょう♪」
という契約なのかもしれません。

Valentine_6.gif

愛の行為、エロスを本物にするためには、男女が「量」でなく「質」の世界にはいることが大事です。そして相手の魂を完全に自分のものにできた!と思った瞬間、あるいは光と光が歓喜溢れる恍惚感のなかで1つとなった瞬間、天上の天使たちは舞い降りてきて、二人の魂に至福の世界を見せてくれるのかもしれません。


時にはエロスの神の悪戯であったり、キューピットが放った矢の犠牲である場合もありそうですが・・(^^)v


  • 2011.01.13 Thursday
  • 20:20

魔法

somethingスペシャル

みなさま、こんにちわ。
日本列島は寒波の影響で寒い日が続いていますが、お正月はいかがお過ごしでしたか?

最近のマイブームは、電気ひざ掛け毛布です♪
部屋を暖かくする暖房器具より、身体を温めるこたつや電気ひざかけのような器具がCozyです♪
部屋は決して暖かくはありませんが、マイチェアーにすわって電気毛布にくるまり、足元あんかをつかって温まったほうが眠くならず、頭がすっきりしていられるので、愛用しながら仕事をしています(^^)v



12月は忙しくて家族と話をする時間もなかったのですが、ようやくお正月子どもたちの懐も温かになったせいか^_^;、もうすぐ高校を卒業する息子や中3になる娘と久しぶりにゆっくり話しをしました。

彼らの眼から見ると、今の若者は自己主張しない人間が多いそうです。
自分の個性を光らせたり、意見をいうことに圧力を感じているか、あるいは自分らしさに拘りをもてないでいるかはわからないけど、ただの「お子ちゃま」のように我がままをいってるだけに見える!というのです。

お前もじゃないか?!

私の心の声は胸の奥底にのみこんで・・・

さらに話をきいてみると、


いけないこと、悪いこと、ふざけたこと、目立つこと、人と違うことをする「ヤツ」はほんとに少なく、みんながそろって同じに見えたり感じたりするといいます。
そしてそうなるともう、生きてるんだか死んでるんだかわからない「ヤツ」となり、話をしても面白くないから友達にもなりたくない。先生の言うことをきく真面目だけがとりえでのりの悪い「ヤツ」となる。 
好きな音楽や芸能人、趣味の話をしても、それがめちゃくちゃ好きで話してるというより、「好きだけどできない。。どうやって学べばいいか?!」という話題だけに話が集中し、「○○の塾でね・・」「△△の友達の兄貴がね・・」「○○のためにはね・・」という具合に、学ぶための手段に盛り上がり、当の目的についてのことについては「よくわかんない・・」となってしまう。

つまりしゃべっててつまらないヤツの代表となってしまう。

「自分のことしか考えないんじゃなくて、自分のことも考えてないヤツばっかだし!」と息子はいう。。
「学校の休み時間、盛り上がった記憶がない!」と娘。。
もしかして私の子どもたちだけがオカシイ!のかもしれませんが・・・
まあ、その辺は置いておいて・・・

自己主張する人は「自分」を持っていますが、彼らのいう「つまんないヤツ」はもっていないから主張や表現ができない!わけですか。。当然といえばそうですが・・・(~_~;)

昔と比べるのはあまり好きではありませんが、確かに今の中学、高校で「人とは違ったsomethingスペシャルを持っていて、キラッと光る本来の子ども」を見つけるのは容易ではないかもしれません。
「個性」が豊かに育つ環境は、現代日本の教育土壌ではまだむずかしいのかもしれないですね。 



「個性」とか「somethingスペシャル」とかは、いったい何なのでしょう?


マヤの暦からサインを調べ、その人の魂の成長を生命樹と照らし合わせて占う方法があります。
さらにまた曼荼羅のように織り成すマヤのサインたちが、その人の運命を妨げていないか、あるいはマヤのサインが年の方位とどのような位置関係にあるかを調べて、解き明かしていく占術も利用しながら、運命と個性を調査します!

そんな場面で相談者の方が「キラキラ」ひかっていて個性があって、somethingスペシャルなものがあると、マヤの運命が呼応や反応しちゃうのです。
つまり、もって生まれた運命・宿命・天命とその人の「個性」がぴったりとリンクしてしまう。
いらっしゃるのですよ。。
そのようなすごい方が!

そんなとき私はこう言うしかありません。
「ごめんなさい、すべてが運命に導かれて活かされる道へと進むよう動いているようです。嫌でなければ今のままの個性と運命の力を信じてみませんか?」

それはどのような状態かというと、土台がしっかり根をはって自分を支えていて、内面には葛藤や試練、挫折を経験して自分と向き合えている。社会や会社、家族とも戦いつつがんばっている。未来には夢と希望に満ち溢れるものが啓示されている。。 
そしてそれら全てを受け止める自分が空気のように存在を主張せず輝いている。


人間に何か特別なsomethingスペシャルがないと、生命樹が光をキャッチしません。
私の手元には20の生命樹に関する膨大な資料とメモがあって、その20を象る曼荼羅マヤサインが描かれている象徴占術盤が壁一面に張られています。

相談者の方の話をききながらそれらを見つめていると、とつぜん光りだすんです!
生命樹がその人の波動の光によって反射するというか。。。

つまり、外なる宇宙(マヤ曼荼羅生命樹の占術盤)と、内なる宇宙(相談者の魂が持つ波動の光)が呼応しあって同化しているのだとおもいます。

そのような不思議な経験をさせていただくと、私の身体はとても温かくなります。
汗もでてきてポカポカです。


nioi_b_2.jpg

個性は子どもにも大人にも共通して現われます。

しかし自分で気づかない人が多いのもやっぱり現実かな。。と思います。
「才能」と呼べる大きなものでなくても、「趣味」とか「お気に入り」とか「気になる」程度でも、そのことを「感じて楽しんでいる」何かがあれば、それが「somethingスペシャル」なのだと思うのです。
「シカ」というサインは「強い個性」を象徴するサインですが、輝く時に「シカ」として輝くとは限りません。輝きは本当に様々だから。
「シカ」の生命樹なのに「ワシ」として輝いている人もいますし、「道」の生命樹なのに「道」を見せずに回りの4つのサインを個性として輝かせて楽しんでいる人もいます。

私にそのsomethingスペシャルを教え伝えてくれるのは、私の個性であり私のsomethingスペシャルです。
私の個性は私が出したくて出すものではないのです。天に導かれて勝手に出てくる力です。絵が好きで絵ばっかり描く「絵バカ」で才能があっても、個性として光ってくれないと人の眼に映らない。。ですよね。

生きてるんだか死んでるんだかわからない「ヤツ」として生きるよりも、バカヤロー、アホやろうとして楽しく自分らしく生きてる「ヤツ」のほうが、生きてて面白いに違いありません。
生きててつまらなかったら、生きてる意味がわからなくなる。

ということで〜

個性は「光の原石」で、somethingスペシャルは「光の探し手であり研磨師」です。

きらきら光ってるひと・・・・
光はじめようとしているひと・・・
今年は多くなるはずです!!

なぜ?ですって?


それはね。。

壁に貼ってある20のマヤ曼荼羅占術盤がキラッと輝くときが多くなったから!


楽しみでーす(^_-)-☆

  • 2011.01.08 Saturday
  • 19:44

魔法

指先から伝わる「愛」

先日久しぶりに美容室へいってきました(*^^)v

私の性格が髪型を反映させるのか、それとも魂が髪型に反映されるのか(^_^;)それはわかりませんが、まっすぐストレートにするかスパイラルパーマで爆発するかのどちらかをいつも選択します。

それに対応して下さる担当チーフは大変です(・_・;)


先日まで爆発していたので、そろそろ素直になりたくて
「ストレートショートでお願いします♪」

「ええXXっぇぇぇぇ!! これをまっすぐにするんですか?! むり〜〜〜!」
「うーーん、でも・・失敗してもいいからやって♪」
「だって〜〜戻らないと思いますよーー」
「いいよ♪ 戻らなかったらそれもまた運命だしさ♪ 楽しもうよ。髪型くらいで人生めげたりしないから(*^^)v ヨロシク!」


というわけで、美容師泣かせの私は無理を承知でお願いしてしまいました。
   

ところが私の髪は強靭なくせに結構素直で、まっすぐっぽくなってくれました。
(前のスパイラルが結構伸びてきてた、というのもありますが…)

   


施術を受けながら、美容室で色々な話をしていたのですが、シャンプーについて話をしながら素敵な話がありましたので、ご紹介します♪



シャンプーを担当している女性と私の会話


「新人さんがお客さんのシャンプーできるようになるのにどれくらいかかるの?」
「大体3ヶ月くらい過ぎてからかしら」
「そうなんだ〜じゃあ、先輩の頭をいっつも洗いながら学ぶのね!」
「はい。色々な髪質や頭の形があるし、強さもあるしお客様の加減の希望もあるので、それを学ぶことから始めるんです」
「そうだよね。。大変だよね。一人ひとり好みもあるしね」
「ええ。それとシャンプーがお店を決めるとも言えるくらい大切だと教えられているので、徹底的に学ばされます」
「へえ〜!そうなんだ」
「はい。まず最初にお店にきて、お客様はシャンプー台にのりますよね。だから『ああ、上手だな。気持ちいいな。これからもこのお店に来てみようかな』って思っていただける。でもいい加減なところが見えたり、だらしなかったり、気が入っていなかったら、それで第一印象は×です。」
「そうだね。そうかもしれない!」
「指先にどれだけ気と愛を込められるかが大切なので、たくさん練習させられるんです♪」



ほ〜!と感心した私でした。


確かにそうなんですよね。
シャンプーは自分でしても気持ちよくない。たださっぱりするだけです。でも人に頭を洗ってもらうと、何とも気持ちが良くて癒されるか、みんな感じるはずですものね。





そう言われてみて考えてみれと全てに通じるものなんですね、これって!!!



肩こりがひどい時、マッサージに行きます。
その時も、施術師さんの指さきの力加減や心、気の込め方で、肩や腰が楽になります。


外科医のお医者さんも同じ。
指先に持ったメスで患者さんの体内にある悪いところを的確に取り出します。
指に愛情と気がこもっていないと、技術だけでは無理な面もきっとあると思います。


恋愛も同じ!
手をつないだとき、相手の指先にぐーっと力が入っていると愛が感じられますよね。指先から愛が伝わっているわけです。薬指に結婚指輪をはめることもやっぱり意味があるわけですよね。


楽器演奏も同じ!
指先にその人のスピリットと愛が入って、素晴らしい音楽を奏でるわけですよね。




赤ちゃんも同じ。
赤ちゃんは生まれて目が見えるようになってから、初めて目にするのはお母さんの顔と自分の手です。
手を一生懸命ながめたり、しゃぶったり、ひっぱったり、グーパーしたりして手と指の感触を訓練しながら、世界を感じていきます。


お祈りや瞑想も同じ♪
手を合わせてお祈りをすることも、瞑想やヨガで手や腕、呼吸で気を整えることも、密教のように指先をつかって天の奥義とつながることも、すべての中で指は肝心な働きをしています。



大切な人に、大切な気持ちを伝えるとき、プレゼントよりも言葉よりもメッセージよりも、もしかしたら指先に愛と気をこめてみることの方が効果があるのかもしれません(*^^)v

とても気持ちよくシャンプーとマッサージをしていただき、快適な気持ちになった私の一日でした。

  • 2010.06.16 Wednesday
  • 16:16

魔法

地球3億年のパワーが我が家に

地球が汚染されてない太古の昔、海水が地殻変動によって噴出し、ヒマラヤ山脈の一部となったのが2億年か3億年前。

長〜いあいだ眠っていたヒマラヤ岩塩が…、チベットから我が家にやってきましたーtt(^o^)丿

といってもトコトコ歩いて来たんじゃないことくらい、わかりますよね^^;

ヒマラヤ山脈の岩から削り取ってきたロックソルトを切り抜いて作られた「ホルダーランプ」や「バスソルト」など数点を購入しました。

    


さっそく電気をつけると、その暖かいオレンジ色の光沢と穏やかで優しい波動が、すごいパワーで私を包んでくれました。


不思議なことに何時間横で見ていても飽きがこないのです。


かつては魚の住まいである海水として働き、地球の海底エネルギーや聖なる地チベットの大地のパワーをぎゅ〜〜っと濃縮させて持っているようです。

ヒマラヤ山脈の一部となって時の流れを見てきたんだなぁ〜と思うと、母なる大地に癒されていく自分が分かるんですね。驚きです。


そしてもう一つ購入したのが「ティンシャ」です。

     

ティンシャは、チベット仏教の密教法具のひとつなんだそうです。
チベット高僧や宗教リーダーによって様々な儀式の場面で使われたり、スピリチュアルな世界では瞑想時や、心を癒す、リラックスする、というように使われることが多くなっているんです。

小さなシンバルのような形をしていて、耳の奥深く脳髄までが音叉を感じ取れるような透明感ある音、チャクラの混乱を一掃しながら、気を統合させてくれるような聖なる響きを感じることが出来ます。


考え事に疲れたときや、頭の整理をしたいとき、思考やエネルギーをリセットしてみたいときなど、癒しの効果抜群です。


素材は宇宙を表す7種類の金属を特殊な配合で混ぜ合わせ、手作りで仕上げているものが多いようです。

チベット密教古来の占星術にある7メタル
金(太陽)、銀(月)、水銀(水星)、銅(火星)、鉄(金星)、スズ(木星)、鉛(土星

かの有名な錬金術なんですね! 



今日は「シカ」の日ですので、今年のマヤ暦・年の守護者が、私に運んでくれた小さな幸せなんだわ〜と、最高の癒しを満喫しております。


縁を結んでくれた友人に感謝!です。
  • 2010.01.13 Wednesday
  • 18:56

魔法

初夢〜夢の知らせ〜

現代では新年元日か2日に見る夢が「初夢」と言われています。

Wikipediaによると文献上では暦上の新年とは無関係に、節分から立春の夜に見る夢を「初夢」とされていたそうです。

        

良い夢を見るには、七福神が乗った宝船の絵に回文の歌を書き、枕の下に入れて眠ると良いとされていました。

予兆、予知夢と言われるものがあります。「夢の知らせ」などと呼ばれているものです。

全ての地域ではないようですが、一般的に縁起がよい夢とされているものに、

富士山、鷹、茄子、扇、煙草、お葬式、火事、蛇の夢、人に刃物で切られる夢、橋を渡る夢、船に乗る夢、浪に追われる夢、潮水の満ちてくる夢、

などがあるようです。

    

予兆、予言つながりでマヤの象徴について少し説明します。
マヤ文明の遺産「偉大な予言書」と言われているものに「チラム・バラムの予言…マヤ神話」があります。

チラムの予言は「日の予言」「年の予言」「世紀の予言」そして「ケツァルコアトル(ククルカン)再来の予言」の4つに分かれていて、それぞれがツォルキン暦のカツンの顔(デイサイン)の特長と重なりあって、大動乱が起るとか、聖なる審判が行なわれるだろう、と書かれています。

そのような予言には、予兆や予知としての未来予測をするものだけでなく、もっと深い人類共通の要素に確かな言葉を投げかけて暗示しているような象徴的意味が含まれているのです。

そこにあるものは、夢に登場するような意味を持ったアイテムと同じものがたくさんあります。

たとえばチラムの書では「綱」や「梯子」は天の力の象徴を意味し、「煙草」は流星の象徴として語られていました。また「五月の花(プルメリア)」は性的行為を象徴するともいわれています。


初夢を覚えている方は、是非小さなことでも書きとめておかれるとよいかと思います。一見すると理解できないような意味を持つ光景やアイテムが夢の中には、とてもその人にとって意味があるものであることがあり、何かを知るヒントになることが多いからです。

そういう予兆的な知らせを見逃してしまうのは惜しいのではないかと思います。

       

マヤ暦のデイサインから象られていくその人の生命樹にも、命や使命を全うするために選び取っているものとして大切な意味があります。

夢の中に「樹」「木」「森」が出てきていたら、ぜひ大切にイメージを書き留めておいてくださいね!これはとても重要なメッセージになりますよ!


スピリチュアル的なことですがマヤのデイサインと生命樹を学びながら私は、あることを実践する大切さを知りました。

それは「生命樹のバランスを保つこと」です。
未来に向かってその人が成長し続けることの大切さです。

そこで、初夢にちなんで「未来の夢に向かって実現するチャンスを掴む」ために、スピリチュアルな方法をひとつお教えいたしましょう!

1.まずゆっくりと左手(女性性)と右手(男性性)を合わせていきます。 これであなたの生命樹は一つの気に統合されます。



2.手と手の間に小さな隙間をつくり、願い事を心のなかにしっかり思いながら、両手を口元に持っていってそっと空気を吹き込みます。そして空気を閉じ込めて少しの間、目を閉じます。

願いが生命樹の中にしっかりと埋め込まれていくことが大事な一瞬です。



3.さあ、しっかり目をあけて、再びその手を口元に持っていき、その中にある空気をもう一度吸い込みましょう!



自分の運命のマヤ生命樹によって統合された願いと夢を、あなた自身の身体に再び取り入れることによって、生命樹全体の気にその願いの素が行き届きます。

統合された未来運がとても高まりますよ(^_-)-☆
  • 2010.01.06 Wednesday
  • 13:15

魔法

ジーニーの魔法占い

私はこれまで「無意識の世界」という深層心理とスピリチュアルな世界についてのサイトを中心に、自分が好んで学んできたユング心理学、象徴哲学体系や神秘思想、キリスト教や神話研究、アセンションやマヤ文明など独学で研究してきた内容について書き溜めてきた魔法のブログ、そしてそれを楽しく発信していきたいとアイデアで製作した「ジーニーの魔法占い館」というサイトを運営してきています。


仕事や子育てをしながらの運営なので、時には自分に厳しくあるときは超甘く(・e・)しながら、更新し続けてきました。
しかしそろそろ多重人格と7つの顔を持つ生活も限界に達し、疲れてきたというのが本音でした。



ところが昨年の11月頃から私にとって「風」が変わったようでした。
それは自分の前に「道」が作られ、未来にむかって風が追い風となって背中を押しているようでした。

でもそれは私にはまだ理解できないところで動いていたので、意識してわかる変化はありませんでした。
逆にかえって辛いことが多く感じられた日常でした。





11月頃から「ジーニーの魔法占い館」へのアクセス数が増えました。
最初はあまり気にせずにいたのですが、年末から年始にかけてぐんぐんと訪問してくださる方が増え、占いの申し込み件数も多くなってきました。

少し時を遡った頃、私はマヤ文明の智恵とシャーマンによる「神聖暦占い」の勉強に夢中でした。

マヤ文明の神秘についてはここでも記事として書きましたが、占いに関して踏み込めば踏み込むほどに面白くなっていったのです。

神聖暦ツォルキンについての占いを始めたことで、さらにジーニーの守護妖精占いにピッタリのイメージがわいてきたのです。


少しだけここで紹介してみたいと思います。



マヤの神聖暦ツォルキンは、聖なる時間を認識するためのイメージを私たちに語りかけてくれます。 
そしてそこには、わたしやあなたの運命を支配する20の基本デイサインがあります。

 マヤの人々は、日常の時間尺度として私たちが使用している1年365日という太陽暦よりも、聖なる時を知るための260日を1サイクルとする神聖暦を大切にしていました。

名前のついた20のデイサインを持つ日と13の数字とが組み合わされ、20×13=260日となり、独特な時のサイクルを生み出していくのです。

また生命樹という世界観を持っていて、自分を中心とした四つの方向にはそれぞれに色や聖なる次元、霊的宇宙などのように、魔術的な象徴概念がこめられていると考えていたのです。 

それは東を正面にして両手を広げると、「自分」という「生命樹」が宇宙の中心点にあるという世界観です。


東はあなたの未来、子どもを含めたあらゆる子孫、これから起こること。
背後となる西はあなたの過去、祖先やあらゆる過去の存在。
右手側である南には、あなたの家族を含めた男性パワーや力、威厳や使命。そして左手側である北は、あなたの人生に関わるすべての女性やあなた自身の女性性や愛、感情を象徴します。

あなたの生まれた誕生日は、神聖暦ツォルキンでは守護者としてあなたとともに働いてくれる守護精霊(守護妖精ジーニー)を決定することを意味し、さらに生命樹であるあなたに顔を与えてくれるのです。

マヤの生命樹は、キリストの十字架やカバラと同じような世界観と哲学です。(パレンケの蓋が発掘されました)
生命樹は宇宙の中心を象徴し、また生命エネルギーも意味しています。そのエネルギーは、世界を背負う「ワニ」の背中から天国へと上昇します。
地上界と天上界を結ぶ大動脈でもあるのです。


またマヤの一族は、時間には二つの次元があるといいます。 
日常時間と聖なる時間。日常時間が太陽暦として知覚されるものとするなら、神聖暦は聖なる時を知覚する独特な尺度なのです。

1993年から2012年は最後のカツン(20年)サイクルであり、チラムバラムの書によれば、偉大なる賢者「翼ある蛇」が帰還する日でもあります。また4アハウは、霊的な再生やメシア待望の一つだといわれています。



私がどのような道に進むのか、どこへ向かっているのか、私が知る以上に守護妖精である私のジーニーはすべて知っているのだということが認識できたのは何よりも幸いなことでした。





  • 2009.01.16 Friday
  • 00:42

魔法

不思議のぬし神さま

拝啓みなさま 日常お変わりございませんか?

たくさんの不幸な出来事が 日本人の生活を脅かしています。
予測不可能な事件・災害が 幸せな国民の人生を一変させてしまいます。
テレビに映し出されるのは人の苦しみの渦と、道理に叶わない社会の歪と、腐りかかった国政の膿と、何も知らない集団の愚かさばかり・・・



噂に聞くところ携帯電話がさらに進化しているようですね。
その一方で子どもに携帯電話を所持させることを規制しようとする。
日本人の価値観と正義心理に大きな変化が出ているのを感じているこの頃です。 携帯電話ばかりではありません。 人間が利便性を求めて作り出したはずの便利グッズが、社会的な評価のトップ位置を占めた時から、人間自らの首を絞め始めるという現象があちらこちらで起こっているようです。


昔、文通という慣習があったのを皆さんは知っていますか?
知らない世界の会ったこともない人と、手紙で交流を深めていって生涯の友となる一つの素晴らしい手段でした。時には文通後結婚に至るというケースもありました。
今若い世代の話題にのぼっている、会ったことのない「メル友」との交流は、「文通」と本質的に何処が違うのでしょう??!

大人になって目新しい便利グッズが世の中に出始めると、愚かな人間はそれがさも新しいことのように考えて、問題提議に意識を集めては規制に躍起になりがちですが、実は昔からある制度や慣習の別バージョンだということに気づきません。
まったく愚かなことです。

戦争がやまないのは何故か!という問いに、正確な答えを持つようにならない限り、人類の愚かさは繰り返されると偉人はいいます。
愚かな人たちの仲間に入るくらいなら、変人呼ばわりされても自分の立ち位置に留まりたいと願う人たちの仲間に入りたい!と私は思うのです。

最近の予測不可能ないくつかの出来事やニュースが、みなさんには偶然的で自然発生的なものだと感じられますか?

秋葉の殺傷事件と全体の半数が20代を占めるという硫化水素による自殺者の増加、中国・四川大地震に呼応するような東北地震災害、宮崎勤死刑執行、産婦人科・小児科の病院、医師不足なのに少子化対策…
宇宙ステーションから帰還し「すべての瞬間が楽しかった。もう少し宇宙にいたかった」と語った宇宙飛行士の星出さん。



今を捉える、国を捉える、現代という時代を捉える、季節を捉える、世界を捉える・・・様々な捉え方によって物事を考えるという思考形態を持ちあわせている人は幸いです。 多くの可能性を考えながら事実や現象を検証したり考査したり出来るからです。
また、見たままの物質的な世界のあり方に振り回されない視点を持ち合わせている人は幸いです。人が何かを考えて述べたとき、その人の意見を自分の考えと混ぜ合わせずに聞くことができる人は幸いです。

時は近づきつつあります。
その「時」を感じることが出来る人は幸いです。

その「時」とは
終末の時でしょうか?
アセンションの時でしょうか?
死・別れの時でしょうか?
宇宙未来への「きぼう」の時でしょうか?
世界戦争への時でしょうか?
世界平和への時でしょうか?

絶望の時でしょうか?


耳を傾けてみてください!
地球が発している声に!


私のサイトを開いてくれた皆さんに、私が感じる神秘の不思議ぬしとの会話の一つをお教えしましょう。

遠くの彼方からどんよりした真っ黒の雨雲が流れ込んできて、わずかにオレンジ色の月影が感じられていた真夜中の暗い空を、大きく飲み込むように空一面に広がってきたとき、地面が大きく深呼吸する音がほんの一瞬聞こえます。

そして大地が雲の鼓動を受け止める準備をして静まりかえります。

偉大な瞬間です。

そしてそのわずか数秒後、天から落ちる一番最初の雨粒が地上に落ちた音を耳にできる瞬間があります。

その音は「ポツン」でもなく「ポタリ」でもなく、「ツン」でもありません。

それまで渇いていた空中の気が天から地上に落ちるまでの一粒の水滴から水分を奪いとって蒸発させようとするため、地上に落ちる以前に空中でなくなってしまう水滴がいくつもあるのです。

最初の雨粒が大地に落ちる瞬間までには、実は自然界の多くのストーリーが既に展開されているのです。
そしてようやく地上に落ちてきた最初の雨粒は、まるで月に初めて立った宇宙飛行士のようです。

誇らしげで、凛としていて、感動の驚きをもっています。
だから音だって自ずと違っているのです。

「ポツン」でもなく、「ポタッ」でもまったくない、それはまるで異次元空間から訪問してきた「声」に近い「音」なのです。

そのような声音を聞くチャンスなど「聞こう」とする意思がない限りほとんどありません。意志があっても、チャンスがくるとも限りません。

だからそこには「聞く」側の絶対的な意志と、「聞かせる」側の自然環境が整わなければ体験は成立しません。


その声音を聞いたとて、世の中生きていくために何の徳にも役にも立たないと人は思います。

私もかつてはそうでした。
しかし今は違います。

異次元空間からの贈り物とも言えるあの素晴らしい声音を耳にした瞬間に、どれだけの自己発見と真実の学びと偉大な教えを得たかを考えると、生きていくために最も大切なことを教えてもらったとさえ自負できるように感じるのです。

だから私が聞いたその素晴らしい「声音」音を、皆様に教えるわけにはいきません。

私は自然のぬしではないから。
私の感性が正しいとは限らないから。
私の無意識が浄化され続けているかどうか保障はないから。

不思議のぬし神さまに そっと教えてもらったのです。

ただそれでも、その音を皆様にも同じように体験してもらいたいとは願うのです。


拝啓、みなさま

私が体験した地上に到達した最初の雨粒の声音が、どのようなものだったか知りたいと思われるでしょうか?
それともべつに…!と思われるでしょうか?

地震災害が起きてしまうほんの瞬間前の大地の声音が、どのようなものかを知りたいと思われるでしょうか?
それともそんなこと不可能だよ「なまず」じゃあるまいし…!と思われるでしょうか?

台風や大津波による災害がやってくる少し前の空気が、どのように変化しているのかを知りたいと思われるでしょうか?
それともそんな予知能力なんて人間にはない…!と思われるでしょうか?

拝啓みなさま、是非考えてみてください。

「超」能力とは何なのか。
「超自然現象」とは何なのか。
「人智を超える働き」とは何か。
「地球外生命体」とは何か。
「無意識」にある能力とは何か。

どれもみな本当は私たち人間の身近にある世界のことなのですから。
  • 2008.06.21 Saturday
  • 12:12

魔法

マヤの精神世界

魔法にかけられて鳥の頭脳になってしまったのか、催眠術にかけられて過去の記憶を探究しているのか、宇宙人に光の洗脳をされてしまったのか、もしかしたら、マヤ文明の秘密が明かされる時がやってきたのか、現在の私の意識はマヤの方角に飛ばされている。


私には、自分の現在が何の為にどこへ向かってそうしているのかを知らされていない。
だからそれをどのように理解したらよいのか、まったく解らないときがある。

今がまさにそのような心境で、私はただ「やらされている」「遣わされている」「向かっている」という使命を帯びている意識の下、マヤ・アステカ文明に埋もれていっているのである。



▼わくわく・・・

「Open Sesame!!」と岩に命じたアリババが、目の前にもうすぐ現われるであろう黄金の品々を想像し、わくわくしながら巨大岩の扉が開かれるのを待つかのように、

火星に宇宙人らしき存在を見つけたときのように、

まれに沖縄の空に出現する「God's Hand」と呼ばれる雲を目にしたときのように、

中世の錬金術師らが様々な技法と工夫により成分を抽出し蒸留し、分離を行なっては化学反応によって姿を現わすであろう、かつて目にしたことのないような輝きを持つ金の抽出を夢見ているかのように、

私は何故か「わくわく」している。


目の前につまれた古代マヤ・アステカ文明の史跡と蔵書物らの中から、埋もれているダイヤモンドの原石と思われるものを、丁寧に一つ一つ取り出しているのだ。


しかし数千人の術師らは、当然のことのように期待に反して金を手にすることは出来なかった。

なぜならその道は途方もなく「困難な道」であった上、メリクリウスの助けが得られなければ金の抽出に成功することは出来なかったからである。

▼そのときを待つ・・・

浦島太郎が竜宮城の乙姫からもらった「玉手箱」を地上に持ち帰り、中を開くと煙があらわれ、一瞬にして時を超え、白髪のおじいさんに変身してしまったように、

ギリシャ神話に登場するパンドラが、愛する夫がさも大事そうにしまっていた甕の中にいったい何がしまってあるのかを見たくてたまらず、ついには夫の留守の間に重い蓋を取り退けてしまうと、中からはたくさんの災いが一斉に外へ飛び出してしまったときのように、

「宝」だと思っているはずのものが、そうではないという結果をもたらしてしまうこともあるのだ。

そこで私は「待つ」ことにした。

天から贈られる「次なる指示」を・・・

マヤの天文学に隠された「象徴メッセージ」を解く鍵となる隕石の贈り物を・・・

マヤ文字と神聖暦に含まれる多くの象徴的要素が、驚くほど重要な知識と予言的なメッセージを「第五の太陽の時代である現在」に生きる人類に残しているのかを解読するための大切な剣を・・・


最も幸運な誕生日の一つに生まれた者として、黄泉の国との関わりが深い者として、目に見えない太陽に向かって、集合的無意識の力を右手に、「道」を教えてくれる直感的サインを左手に持ち、変容という黄金の在りかに至る地図が浮かび上がってくるのを・・・

私は探究と発見の道を歩みながら、ひたすら待っているのだ。



誕生日はもうすぐやってくるから・・・
  • 2008.01.26 Saturday
  • 10:37

魔法

タロット占い



私は自分の道について、タロットカードに聞くことがよくあります。
私自身の過去・現在・未来について、どう展開されていくのか、生活の方向を何を気にしながらどちらに向かったらいいのかなど、霊的な力と洞察力が弱まっているときなど特にタロットの象徴に頼ることが多いのです。
タロットカードの象徴するところのものは、錬金術の象徴する思想や、古代から受け継がれてきている神秘的魔術など、それらの神髄が脈々と受け継がれてきているのです。

自分の信念や、考え、思いや感情、理想がどこまで現実に即しているのかなど、自分自身では測り知ることが難しい運命のからくりを、天使たちの力を借りてカードを用いて占ってもらうのです。
私が使用しているタロットカードは、一般的なものですが、いつか私自身の体験した世界をもとにした象徴カードを作成してみたいと思っています。

私は昨年8月から現在に至るまでの数回、タロット占いをした結果と占い項目をこと細かにノートに書きとめてきました。
すると、具体的な内容は言えませんが、1つのことが繋がって示唆されていることに気づいたのです。
昨年8月の時点では、私という自分の星は、過去・現在・未来のどこにも現われていませんでした。
常に星の導きを期待しつつも、力や愚か者のトリックに振りまわされていたからでした。
ところが10月頃から、時間の中に運命の輪と世界が見えてきたのです。
その後今年の10月に至るまで、トリックスターたちに運命を惑わされながらも、少しずつ自分の星と世界が運命の輪の中に出現するようになり、最近の占い時には、過去・現在・未来が同次元、同方向を向いていて、自分の星と世界を統治している状態にまでなったのです。

私自身が望む望まないに関わらず、世界は毎日進み、活動しています。
私が自分の何かを知ったところで、世界が変わるわけではありません。


私が自分の運命をカードに託し、そこに表わされた知りえない意図を読み取るという疑似体験は可能となるのです。さらに自らの運命に必要な隠されたメッセージを「象徴」として理解することも可能なのです。

私は自分の運命が思うとおりに進んでくれるなどとは思いませんが、願うとおりに進んでくれたらいいなあとは思っています。しかしそれもまた叶わぬことだということは理解しています。
だからこそ、自分が迷いの渦に留まり続けることは無意味なことだと思うのです。
願うからこそ、前進したいのですから。

迷ったり、困ったり、悩んだり、考え込んだりしたとき、一度タロットカードに聞いてみるのもいいかもしれませんね。
  • 2007.11.19 Monday
  • 15:10