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  • 2018.04.13 Friday
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神秘学

賢者の石を手にするには・・・

昔から 「石」 は不思議なアイテムとして世界中で大切にされてきました。



日本では石は「神や霊の入れもの」「たまごもる石」として信仰の対象となっていました。球体の石を信仰したり、隕石や水晶を祀る神社があったりと、人は石に神や霊魂が宿っていることを信じていたようです。
中国では石は薬でした。すりつぶしたり加熱して粉にしたり、他の薬草といっしょに煎じて飲んだりしていた様子が、中国の古い文献に記されているといいます。又、ギリシャでは石は様々な薬効力があると信じられていました。ルビーは風邪に、ダイヤモンドは解毒に、琥珀は扁桃腺炎や胃痛に効くといわれていたようです。


子どもや大人に大人気のハリー・ポッターシリーズ第一弾では、「賢者の石」が登場します。

ハリーたちは魔法学校に賢者の石が隠されていることを知り、石が悪者の手に渡らないよう自分たちの手で守ろうとします。賢者の石が何処にあるのかわからず、奮闘するハリーたちは「賢者の石」を見つける鍵が「鏡」であると知ります。鏡の仕掛けを何とか見破って石を探そうとしますが、驚くような方法でハリーは「賢者の石」を手にすることになります。
その秘密を知りたい方は「ハリー・ポッターと賢者の石」をお読みください♪
ハリー・ポッターと賢者の石 (1)
ハリー・ポッターと賢者の石 (1)
J.K. ローリング, J.K. Rowling, 松岡 佑子


中世の錬金術師たちは、この不思議な石・・・「黄金の石」「霊をはらむ奇跡の石」を求めて、探究し続けました。

「・・・もろもろの鉱物の中に隠れている不可視の水銀を、真髄において捉え、獲得するには、まず鉱物中からこの水銀を追い出さねばならない。そしてもしこの刺し貫くメルクリウスを手に入れることができれば、今度はこれを他のいろいろな物質の中に”投入”し、こららの物質を不完全な状態から完全な状態へと移行させることができる。この物質を石の中から抽出し、この物質の力によってあらゆる卑俗な物質を染色し、それらを高貴な物質へと変成しようとしたのだ。」

ところが「賢者の石」を発見できた錬金術師は決して多くはありませんでした。
この「石」は求める者の心を映し出す鏡によって、人を選んでその姿を現わしたり隠したり出来たのです。鏡が映し出すその人の心は偽ることは出来ません。

決して無闇に与えてはならないという神の掟をしっかりと守り、人の心の本心をうかがっているのが「賢者の石」が持つ力なのです。



では近代社会に生きる私たち現代人は、「賢者の石」を手にすることなど出来ないのでしょうか?
おとぎばなしやファンタジーの中でしか、効力を発揮しない過去の産物となってしまったのでしょうか?

ニュートンはこんなことを言っています。
「宗教に科学の真理を持ち込んではならない。さもないと宗教は異端になる。 科学に宗教の真理を持ち込んではならない。さもないと科学は空想的になる」

ニュートンの言葉を借りて表現するならば、「賢者の石」は宗教の世界にも科学の世界にも入ることができないまま、行き場を失いいくつもの時代をさまよっていたのです。
でも「石」には選ぶ使命がありますから、時の流れのなかで「賢者の石」を持つのにふさわしい人を選んでは与えてきたのだと思われます。そして選ばれた人々は「石」の力を手に、様々な形や方法でその秘密のありかを世に伝えようとしてきたのです。
時にそれは「才能」であり、「神業」でありまた「愛」「智恵」「奇跡」として効力を発揮しました。また実体のない「心」という学問の中にその居場所を得たとも言われています。

でももっと身近に、私たちは「賢者の石」を感じることはできないでしょうか?

小さな子どもが散歩の途中、道端に転がっている石を大事そうに眺めては持ち帰ることがよくあります。
大人から見れば何の変哲もない「ただの石ころ」です。
でも心が純真で、命の水の味をまだ忘れてはいない幼少の頃の彼らの目には、ただの石ころには見えていないに違いありません。
「賢者の石」の存在は、そのような純真な幼子らによって守られているのです。

それでは大人になった私たちには何も期待出来ないのでしょうか?
才能もない、芸術性もない、奇跡も不思議にも縁遠いと思っている人々にとっては「賢者の石」は空想の世界でのアイテムとしてしか存在しないのでしょうか?


実はあるのです。
「賢者の石」が隠れている場所を見つける方法が・・・!
「賢者の石」はむやみやたらには人に与えられませんが、では自分が選ばれているかどうかを知る手がかりはないのでしょうか? 

「決して無闇に与えてはならない」という神の掟を思い出してください。
無闇(むやみ)とは「考えのないこと」という意味があります。
つまり、考えがなく思慮のない人間には与えてはならないということです。

そしてその鍵は次の言葉に隠されていたのです。
「許し」


人を許したい、でも許せない。
そんな思いを胸に抱えて生きている人は多いと思います。
相手を憎み、恨み、やり場のない怨念を抱えたまま日々を生きるのは、地獄にいるほど辛いことでしょう。
だからといって自分を苦しめ、傷つけた人を許し、奪われ騙された辛い道を忘れることなど、出来るはずがないでしょう。ましてや「愛」や「寛容」によって相手を許すくらいなら、死んだほうがまし!だと思うに違いありません。

キリスト教では「愛」にとって人を許しなさい。罪を恨んで人を憎まずですよ、と教えられます。

クリスチャンと呼ばれる信者たちは、キリストによる罪の許しと十字架の血の贖いを信じる信仰により、人を許すことができるのです。しかし全ての人間が心の奥から相手を許しているかと言えば、そうでもないようです。何故ならもしそれが出来るなら世界に宗教戦争など起きるはずがなかったのですから。


では「人を許す」ということは、何のために何故するのでしょうか?
別に相手を許さなくたって自分が生きていく上では支障はないのではないでしょうか。 その人の顔を見たり関わったりしなければ、思い出すこともないのかもしれませんよね。

そんな自分に関係のない”最悪の罪人”を「なぜ私は許す」必要があるのでしょう? 別の言い方をすれば「なぜ私は許せない」のでしょう・・・?

「自分」と「最悪だと思っている罪」との関係が隠されていることに、自分が気づいていないということが理由としてあります。
その人を許せないのではなくて、実はその人の”罪・行為・心・思い方・間違い”が許せないのだということです。そしてその相手の『非』によって被った自分の被害や傷を自分が認めるのが辛いのだということなのではないでしょうか。

自分が「最悪だと思っている相手の罪」があることを認めるのは、大変辛く「勇気」のいることなのです。
相手の罪・悪意によって傷ついて苦しんだのは、他でもない大切な「自分」であり「愛する人」なのですから。
悪い事をしていない「自分」や「愛する人」の心を犠牲にしてまで、相手を許すことに意味を見いださない。つまりとんでもないことなのだと思ってしまうのです。
ところが現実は厳しい・・・。勇気を出してそのことを認めない限り、つまり罪を認め、自分を認め、その弱さを認めることで相手に対する恨みの呪縛から解放されない限り、同じような試練がまたいつか自分に忍び寄ってくるのです。

「許す」ということは、本当に本当にむずかしいことですね。
勇気がいることです。

でもよく考えてみてください。
相手を許して徳をするのは相手ではなく「自分」です。
もしも相手が「しめしめ・・」と思ったとしても「そんなのカンケーネェ〜〜!」なのです。

自分の心の中で本当にその罪を認め、許してしまうのなら、その相手がたとえどんなに最悪凶悪な人間であったとしても、自分にはまったく無関係になってしまうのです。いえそれ以上・・・つまり「無関心」になるはずなのです。
そこではじめて試練を乗り越え、人は次の段階へと進むことが出来るのではないでしょうか?

人間にとって一番辛いことって何だか知っていますか?
恨まれることでしょうか? 傷つけられることでしょうか?
わたしは「無視」ではなく「無関心」だと思っています。
存在を知っていて相手に無視されるのは、まだ存在が残されているという希望がありますが「無関心」はどうでしょう。それは存在にすら「関心が注がれない」ことを意味しています。つまり相手の存在は自分にとって無闇に葬ってしまうということなのではないでしょうか。

「賢者の石」を手にするのは選ばれた「勝者」だけです。

幼子のような心の純真さは、隠された場所を探すための鍵です。
そして神の掟にあった「考えがなく思慮のない人間には与えてはならない」という約束事は、無闇から抜け出して神の照らす光のほうへと一歩を踏み出した人に向けられた愛のメッセージなのだと思うのです。

人を憎み続けていると人は「賢者の石」を手にすることは出来ません。
しかし勇気を持って「許し」に挑戦した人は、「賢者の石」にある力を見つけることが出来るというご褒美をいただけるのです。
賢い選択ができるかどうか、賢者の石はあなたの心をじっと見つめているはずです。

許せないと思っている相手に優しく接する必要などはありません。
愛を持ってなどと偽善的なことは言いません。
ただ相手を許すか許さないかという貴方自身の問題なのです。

出産は痛くて辛い大仕事ですが、乗り越えた向こう側には赤ちゃんの笑顔が待っています。
許しは苦しくて辛い大仕事ですが、乗り越えた向こう側には賢者の石のご褒美が待っていますよ・・・(^^)v
  • 2008.02.23 Saturday
  • 18:50

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