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  • 2018.04.13 Friday
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神秘学

不可視の世界とのつながり

「ハレルヤ」

キリスト教の信者に関係なく、この言葉を聞くと人は気持ちが楽になることがあります。
ヘブライ語で「主をほめたたえよ」の意味だそうですが、私は喜びをくれるおまじないの言葉だと思っています。

ビビデバビデブー、
ケ・セラセラ、
スーパーカーリーフラージリスティックエスピアリドーシャス

などのような魔法の言葉と同じように、言葉自体にあまり意味がなくても人に勇気や力を与えてくれるおなじないの言葉。

不可視世界と現実の可視世界をつなぐ「魔法の言葉」…だとは思いませんか?^^


人はふだん耳にするのを恐れているようなこと、またタブーなどを公の場で聞くと、そのおかげで苦悩から解き放たれるような気になってしまうことがあります。

たとえば「悪」

誰かの「悪」を話したり聞いたりするとき、人は自分に関わりのない他人の「悪事」なら、思いっきり責めることも否定することも可能です。

「あんなやり方で失敗するから会社をくびになるんだ」
「そうだそうだ」
「役職ある人間が社員と不倫するからこんなことになるんだ」
「そうだそうだ」

そこにあるのは、正義と真理の仮面をかぶって聖人君子の姿をした人間ですね。
しかし義人と呼べる人間なんて一人もいません。
その場にいる人にとって、その話題は自分の悩みや苦しみから一瞬解き放たれることを自分に正当化するために利用している偽善的な時間ではないでしょうか。

「大きな悪」を聞くとホッとする。
なぜなら自分の中にある「小さな悪」が安心するから。
ただそれだけのことなのです。



もう一つのたとえは「死」

死について語ることは時に誤解をさせてしまうことも、美化してしまいがちになる危険性も孕んでいるため、タブー視されています。

ところが「死」は私たち「生」ある存在にとって決して遠いものではありません。
遠いどころかすぐ隣にあるもの、ではないでしょうか。

肉体や物質としての「死」もあれば、精神的、社会的、人道的な死もあります。どれ一つとってもそんなに遠くて不思議な世界のことではありません。

死を知らない人にとって、死は恐ろしくて不安で怖くて暗いもの。恐れていても仕方がないのに恐れてしまうものですね。

「死」はマヤでは「世界の橋渡し」「扉」です。
この世とあの世を繋ぐ架け橋、時空の次元を行き来するための扉です。


この世界で「生」を持っている人間は、「生」を持っていない人と関わることはできません。その人たちと「死」について語らうことは不幸と認識されてしまうので、タブーなのです。

でも「生」と「死」がその人の友となっている人にとって、「生」を持っていない世界の話をすることは、普通です。
時に悲しみであり時に喜び・慰めであることを知っているからです。

  


200年も前ドイツにノヴァーリスという詩人がいました。
見える世界と見えない世界について、次のような詩を残しています。


すべての見えるものは、見えないものにさわっている
聞こえるものは、聞こえないものにさわっている
感じられるものは、感じられないものにさわっている
おそらく考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。


不可視世界と可視世界のつながりを、意識と無意識のつながりを予言していました。

一休禅師は
「有漏地(可視・煩悩の世界)より無漏地(不可視・本然の世界)へ帰る一休み」
と表現しています。


マヤの暦でも同じです。
「生」のグループのデイサインと「死」のグループのデイサインはコインの裏表となって繋がっています。



冥界のサインの人にとって、自分のコインの裏側には「生きる」力をもったサインがついていますし、「生」の力を持つサインの人にとって見えない世界の力を受ける冥界のサインがついています。
 
古代マヤの時代を生きた人たちは、インターネットという仮想世界が電話線や光を使って繋がるなどとは信じられないことだったはずです。
しかし、現代人が信じなくなった神や宇宙、天と人が繋がっていることは信じていました。


   


不可視の世界はいつも私たち「生」を持つ存在を後ろから支えています。
不運は幸運を支えています。そして悪は善を支えていますが善も悪を支えているのです。


苦悩から解き放たれることを望むのなら、それは可視世界で足掻き続けるよりも不可視の世界に身を任せて願い求めたほうが、いい答えをもらえる場合があるということを私は体験としてしっています。




MISERY(不運)⇒ ハレルヤ ラ ミゼラブル by Hide



  • 2010.03.25 Thursday
  • 20:24

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