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  • 2018.04.13 Friday
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社会・規則

みんなおんなじ…



みんなおんなじって安心よね、ママが言った
みんな一緒って嬉しいよね、ママが言った…
どうして?って聞いたぼくに、ママは言った。
いじめられたり、仲間はずれにされることもないし、
特別扱いされることもないもの…!

ねえママ、ぼくはみんなとおんなじなら、ぼくじゃあなくってもいいよね?
ねえママ、みんなおんなじで安心なら、心配かける子は悪い子なんだね?

ぼくはみんなとおんなじでいたくないけど、
ぼくのママが死ぬまでは、みんなとおんなじでいなくちゃいけないね。
だって、ママはみんなとおんなじでいて欲しいんだもんね。

こんな詩を読んで、皆さんはどう思いますか…
私にはぼくの気持ちから胸に突き刺さるほどの苦しみと絶望を感じます。

成績が悪いと怒る親…
口答えや反抗をすると、生意気だと怒る親…
自分の考えを子どもに押し付けて正当化する親…
子どもを自分の奴隷のように躾けようと躍起になる親…

自分で生んだ大切な子どもなのに、いつの間にか子どもを自分という
檻の中に閉じ込めてしまっているのに気がついていない…
そんな親の犠牲になる子ども…

みんなとおんなじでいいとは思っていないかもしれない。
でも、私は言いたい。
自分が子どもに押し付けている価値観は、本当に正しいのですか?
親がそんなに偉いですか?
たかが20〜30年程しか年が違わない子どもに、歴史を語って楽しいですか?

子どもの心を傷つけているのは、他でもない親なのです。
親の心無い言葉に傷ついているから、人を傷つけることに慣れてしまうのです。
親の気持ちを一番理解して、愛して、従うよう努力しているのは、
子どものほうです。
親がみんなとおんなじでいて欲しいと思えば、従うか、逆らうか、家を出るか親を殺すかしかありません。
子どもにそんな選択を強いていいのでしょうか?

親も子も人権は同じように尊重されるべきだと思います。
子に苦労をさせたくない親の気持ちゆえに、子どもを枠に閉じ込めるのは、
罪です。

あなたは子どもの心と命を守れますか!―いじめ白書「自殺・殺人・傷害121人の心の叫び!」
あなたは子どもの心と命を守れますか!―いじめ白書「自殺・殺人・傷害121人の心の叫び!」
武田 さち子

もっと親が子どもを尊重することを学んだら…
もっと親が子どもを服従させることを止めたら…
もっと親が自然に子どもを許せることができたら…
もっと親が未来を見つめて、子どもを悪に立ち向かう姿勢を示せたら…

子どもは自殺やいじめから、解放されるかもしれません。
子どもは人をなめたような態度をやめるかもしれません。
もっと子どもは夢見ることに希望を抱けるようになれるかもしれません。

子どもの心の叫びに
もっと耳を傾けてください。

  • 2006.12.07 Thursday
  • 21:09

無意識の真実

マインド・コントロールと集団狂気


「マインド・コントロール」という言葉は、テロ・サリン事件以降は
目や耳にすることが多くなった言葉です。
オーム真理教のメンバーとなり具体的なテロ行為を行った人たちを報道を通して知ることで、私たちは、この「マインド・コントロール」がどれほど恐ろしく、どれほどに怖いものかを具体的に知ることになりました。
しかし、本当に怖いのは、マインドコントロールが実はオームだけでなく、日常的にも潜んでいることがあるということなのです。
私が様々な文献や資料を読んで知る限り、この言葉と同様の状況を
生み出すものはゴロゴロとこの世界には存在している、
ということなのです。

私たち人間は、現代ではほとんどの人が自由と人権を尊重されて
生きていますし、またそれを守られて暮らせる社会になっています。
自分の意思で人に意見を伝えることも、YESやNOを言うことも、
価値判断をすることも出来るわけです。
でも実際、問題は生じてきます。
例えば、
親の意見と対立するような意見や主張を持ってしまった子どもは
どうでしょうか?
上司の価値観と全く異なる正義や思想を持ってしまった部下は
どうでしょうか?
自分が普通の考えや常識とは違っているからと、友達や先生から
疎まれてしまって孤立してしまう学生はどうでしょうか?
それらの人たちは、自由と人権が保証されているにも関わらず、
従わなくてはならない集団に属しています。

カルト教団、カルト宗教、カルト国家という言葉をご存知でしょうか?
同じような原因によって成り立っている集団です。
ここでは深く掘り下げていくつもりはありませんが、このような集団に
属している人々にとって、その集団は素晴らしい理想的な集団であると
信じていることが大きな特徴なのです。
私たちが部外者には、彼らは力と権威による支配と服従によって心が
無力化したまま動いているように見えます。
そして自由がなく、操り人形と化しているように映ります。

先ほどの例であげた人たちは、自由な社会に生きながら、自由にならない
集団に属していますから、不自由さを感じることができます。
しかし、後者の世界に属する人々は、自由と解放のない世界に生き、
またそのような集団に属していることすら自覚出来ないのですから、
不自由さを感じることができません。

ここに人類の盲点があるのです。
自分という存在が属する社会や国家、集団が大衆であればあるほど、
マインドコントロールは効きやすい。ということです。

マインド・コントロールの技術は、初期の頃では薬品を使ったり、
催眠を使ったりして行われました。
マインドコントロールと並行する言葉「洗脳する」(ブレイン・
ウォッシング)は、もともとアメリカ人ジャーナリストによって生み出された造語でした。
1950年頃の北朝鮮戦争のとき、中国共産側の捕虜となった国連軍の
将兵たちが受けた「思想改造教育」なるものに対して、最初に用いるように
なったというのです。
それは、自分の意思のままに命令を実行させる、行動を起こさせる、
認識を促すというもので、それを浮ける側は、一種被害者なのです。

医師でもあり、近代ヘルメス学の祖とも呼ばれたパラケルススという
人物(1493〜1541)は、ペストと想像力の関係について、集団狂気という病を引き起こした原因は暗示によるものだというのです。
想像力のなかに現れたものは、現実にも起こるはずだという期待を孕んでいるという暗示によるものだと考えました。

パラケルススは、天体の怒りがペストとなって地上の人間に発症したのだ
と考えました。人間の心の中(内的宇宙)にある星が病んでいると、
天体の異常を共鳴させてしまう、というものです。
つまり「共通の嫉妬や憎悪などの悪徳は、共通のペストを生み、
共通の強欲は共通の疫病を生むのだ」と考えたのです。後にこのような考え方は、錬金術の上昇と下降の概念に対応するものとして認識されるようになりました。
また、ユングは内なる世界と外の世界の共鳴を「共時性」と名づけました。
パラケルススは、ペストという伝染病の真因は、私たち人間の
「悪しき想像力」にあるとしました。
こころの中に想像力を通して生まれ出た産物は、天に呼応する。
そしてまた自分のいる地上に形象となって降りかかってくるのだと
いうのです。
この熱狂的な期待は、強欲や淫らな夢などのように悪しきものであっても、
千年王国待望のような理想社会の到来であっても同じことで、ひとたび度を越してしまえば、狂気となって混乱を引き起こし、伝染していくのだというのです。

アメリカ国防総省(ペンタゴン)とCIAは、極秘のうちに協力して
マインド・コントロールの研究を行っていたと「ニューヨーク・タイムズ」は掲載しました。
また、「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙が掲載した「非殺傷兵器」
に関する記事の中で、電磁波を利用したものや電磁気やパルスを利用した
システムを使った兵器の存在を示唆したといいます。
これらが真実かどうかはわかりません。
でも、テロへの対抗手段、大衆のコントロール、戦術的な対人技術への
応用、敵の士気を低下させる戦法として、研究されていることは在り得ることです。
いずれにしても、これらは核兵器のように敵を撲滅するためのものでは
なく、敵を無力化させるためのものなのです。
万が一の可能性として、このような特殊な兵器や機能が、使用可能な
段階に入るとすれば、それは戦場に特定されず、日常生活の中で使用されたとしても、誰も気づかないし、知るよしもないのです。
大衆全体に向けられたものであれば、尚のことその集団は、
徐々に気づかないうちに無力化していってしまうのです。

マインドコントロールは、意志剥奪であり、人を白痴化させて手なずけることです。
私たちはこのようなことを格段に意識して暮らしてはいません。
家庭でも地域や社会でも、私たちは安心した暮らしが
保証されているからです。

しかし現代では、安全神話は崩壊しつつあります。
道を歩いているだけで、人に刺し殺されることもあれば、
誘拐や通り魔、変質者は日常的に存在しています。
子どもの社会は揺れています。青少年犯罪の増加、学級崩壊や学力低下、

いじめに自殺問題と、普通では理解できないような現象が実際に
起こっています。

もしもパラケルススの言うように、心の悪が天体の異常を共鳴
させてしまい、再び地上に降りかかってくるとしたら、
心の中にある星が意志剥奪によって「自分」という存在を
失う病にかかっていることが共鳴すれば、それこそが
現代の日本社会を悩ませている「自殺」や「いじめ」ではないのでしょうか?!
精神がコントロールする力…つまり自制を出来ないとしたら、
意志がないことと繋がるのではないのでしょうか。

このような天体宇宙と内的宇宙の共鳴によって真実を解明しようと
試みることや現代社会問題と照らしあわせてみようとする試みを、
あなたはどのように思われますか?!
  • 2006.12.04 Monday
  • 20:00

無意識の真実

苦しみ…


人間として生きているということは、本当に苦しみの連続です。
人の肉体が傷や病を負って苦しむこともそう…
人の心が傷や痛みを負って苦しむこともそう…

そして自らの内側から湧き上がる欲望や願望にも苦しみ、
生まれた環境と運命に従うことも逆らうことも出来ずに又苦しむのです。

喜びや幸せと比べたら、苦しみのほうが多いと誰もが知っています。
苦しみの原因を数えあげたら、人の数以上にあるのですから。
でも、どうして人はそんなに苦しむのでしょうか。

私は思うのです。
苦しみに意義を見いだせないことは、地獄に甘んじて生きるようなものではないかと。
どうしてこんなに苦しむのか、それを知ろうとしない限り、苦しみの輪から抜け出せないような気がするのです。

2千年前、イエス・キリストは、十字架刑によってその命を失ったと言われています。聖書の教えでは、神の御子イエスは罪がまったくないのに、私たち人類を罪から贖いだすために、自らが犠牲となって神の御心どおりに十字架にかけられたと記されています。
クリスマスの物語は、イエス・キリストの生誕なしには語れません。
馬小屋の藁の上に生み落とされ、飼い葉おけに寝かされた神の子イエス・キリストは、貧しくして生まれ、犠牲の死を遂げるという救世主であり、まさにヒーローの物語なのです。

そしてその苦しみの生涯を思えばこそ、人々は慰めを受け、励まされ、愛と信仰に生きることが出来るのでしょう。
そして死後も永遠の御国の世界が用意されていると信じるからこそ、キリスト教は発展し続けてきたのです。

イエス・キリストの生涯を見ると、苦しみにはちゃんとした意義と意味があります。人間的に見れば、それは救いになります。そして霊的に見れば、成就となるのでしょう。


さらに2千年遡り、紀元前2千年前、古代バビロニア語によって記された「ギルガメシュ叙事詩」では、12の書板から成立した物語を伝承しています。ギルガメシュとエンキドゥの出会いを始めとして、冥界に下るまで、死ぬべき運命を前にして、人間がいかに生きるべきかという人生観を描いているのです。 精神分析学者であるC・G・ユング派の心理学者の一人は、ギルガメシュの行動と歩みを、ユング心理学でいいう「個性化過程」または、「自己の意識化」として読み解いています。

ギルガメシュは、生命を探求するという生涯の旅を歩むことは、「苦難の道」であり、労苦の積み重ねだったとしています。そして、あらゆる苦難の道を歩むことこそが、叙事詩なのだと語るのです。

イエスキリストも、ギルガメシュもともに苦難の道を歩み、ともに英雄でした。

4千年も前から、人類の生涯が苦しみであることは、変わっていないという事実をここに発見します。

私は、原始キリスト教についてやナグ・ハマディ写本など古文書の資料を学ぶのが好きなので、よく原典から引用させてもらうのですが、特に私が苦しみについての解釈を求めて読んでいたとき、一つの発見をしました。
それは、グノーシス派の教えに属するものでした。
正統派(カソリック)のキリスト教徒とグノーシス派のキリスト教徒は、当時神に関する定義が異なっていて、真っ向から違った解釈をしていました。

正統派は、人間と神を区別するのは、本質的な違いのほかに人間の側にある罪のせいだとするユダヤ教の伝統的な教えに従いました。そして、人間は目指した道徳的目標に到達出来ないから心身で苦悩を味わうのだ、と教えています。

それに対してグノーシス派は、人間の罪のせいで苦悩を味わってしまうのではなく、無知が人を苦悩に巻き込むものだと主張しました。

「真理の福音書」によると、無知は…苦悩と恐怖を生ぜしめた。そして苦悶は霧のように深まった。
とあります。

原始キリスト教と写本の解釈に詳しい荒井献先生によると、
キリスト教の「悪」の起源について、ギリシャ語のKakia は元来、「悪しきこと」=肉体的苦痛、病気、苦難、不幸、あらゆる種類の危害 のように、人が避けたいと思うもの を意味したようです。
人が道徳的な立場から悪を解釈するようになったことで、悪しきものは次第に「罪」へと変化したと言えるかもしれないのです。

またグノーシス探求の際に経験する最初の事柄として、彼らは3つの苦難から形成されているとしています。
恐怖
苦痛
困惑
そしてそれは、「道がないこと」=aporia である。

どうして人間は苦しむのでしょう…
それは、
人類の歴史が苦難の歴史だからなのです。
苦しみのない人は、世には存在しないということ、人間ではないということです。

結局、苦しみから逃げようとしてもダメだということなのでしょう。
苦しみは、絶対人間にはあるものだからです。

苦しみに勝利する道は、
苦しみから解放されるためには、

苦しみと向き合うか、苦しみと寄り添うか、苦しみに眼をつぶるか、
苦しみをバネにして前進するか、苦しみと対決するか
苦しみを避けないこと!
しかないのです。

苦しみは力になります。
苦しみは人生模様を美しくさせます。

みんな、苦しみに負けないで!わたしもがんばります。
(^.^)
  • 2006.11.29 Wednesday
  • 13:59