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  • 2018.04.13 Friday
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社会・規則

何が楽しくて…


何が悲しくて、人は人を傷つけてしまうのでしょう。
何が楽しくて、人は社会に反抗してしまうのでしょう。

息子の自転車が、半年ほど前に誰かに持っていかれてしまいました。
鍵をかけていたにも拘らず、駐輪した場所と周辺には無かったのです。
息子の責任ではなくても、息子に私は管理不足の責任を負わせました。
息子は我慢しました。
友達と遊びに行くときは、後ろに乗せてもらったり、
帰りには長い距離を歩いて帰って来たりして、過ごしていました。
次第に遊ぶことからも遠のきがちになりました。

私はそれではいけないと思い、半年たったつい3日ほど前に
購入することを許しました。
息子は喜んで、友達と新しい自転車を探しに出かけました。
決まった金額で、自分の気に入った自転車を探したようです。
銀色の大人が乗れるサイクリング二輪車を嬉しそうに購入してきました。
友達と早速遊びに行ったのを見て、ホッとした気持ちでした。

今日も息子の友達が遊びに来て、一緒に出かけるようでした。
「おお、新しい自転車買ったのかよ〜良かったなあ〜〜!」
と言われ、何とはなしに嬉しそうな息子。
しばらくすると息子は友達と消えていました。
外を見てみると自転車は残されています。
「あれ?どうして自転車で行かなかったんだろう…?!」
気にしながらも、忙しさにすぐに忘れてしまいました。

夕方息子が帰ってくると、ポツリと言いました。
「自転車、前も後ろもパンクしてる。」
「ええっ〜〜!?」
私は飛び出して、自転車を確認しました。
確かに前後のタイヤはペコペコでした。
すぐに空気を入れてみました。
でも、完全に切り込まれていたようで、まったく空気が入りません。
新品の自転車、まだ数えるほどしか乗っていません。

息子は何も言いませんでした。
私も何も言えません。
ただただ怒りと悔しさを抑えるのに精一杯だったからです。

私には見えるのです。
心の貧しさと怒りが。
心の憎しみと荒んだ精神が。
親がいけないかもしれない。
環境が悪いかもしれない。
ついてないのかもしれない。
悔しい何かがあったのかもしれない。

心の醜さと混沌と愚かさが渦巻くように取り巻いて、
悪事を働いたその人格の良心を覆い隠してしまった悪魔が。

悪い事をするのは、誰にも可能性ってあるんです。
明日はわが身で、腹いせに人の自転車を傷つけることだって出来るのです。
でも…
良心が健全なら、それを人は抑えるのです。
良心を育ててくれた親がいるのなら、それは守られるはずです。

私に見える悪の姿は、あまりにも混沌と絶望が強すぎて
語っても聴く耳をもぎ取られてしまった耳なしほう一のようです。

息子の自転車を見る眼に優しさと悲しさと悔しさが映りました。
私は息子がこの悔しさをどう処理してゆくのか、見守りたいと思います。
パンクはもちろん直してあげようと思います(*^_^*)
  • 2006.11.26 Sunday
  • 19:57

社会・規則

自殺 子どもが次元上昇中?1<Part2>

11月7日に引き続き、Part2として子どもの次元上昇について格闘してみようと思います。
神の啓示によって天界を見た、かの有名な神秘家スウェーデンボルグの研究論文や著書を読んでいて、意識と人の概念について面白い発見をしました。


私自身かつて啓示を体験をしたとき、その圧倒的な神的エネルギーの力と意識が意識でなくなる瞬間を目の当たりにして、それが一体何を意味しているのか理解出来ませんでした。
その後様々な資料や文献を紐解いていく間に、私は神秘の構造について次第に理解出来るようになりました。そして全ての真理は一つに繋がっているのだということを発見したのです。
それは宗教でも文学でも心理学でも化学や天文学でも同じ源泉にたどり着くということでした。

私にはそのことを表現するための言葉が当時ありませんでした。
自分の見た別次元の世界をどのようなことばで表せばいいのか、精神が錯乱していないとどのようにして証明できるのか夢中になって探しました。
そしてやっと自分にとって一番心地よい居場所を見つけました。
それがユングの元型に近しく、無意識の構造にもっとも類似している世界でした。

さて、前置きはこれくらいにして、スウェーデンボルグの話しに戻ります。

彼は「意識」は拡大したり収縮するというのです。それはまるで呼吸をするように出たり入ったり伸びたり縮んだりするものだというのです。
また、私たちの意識は、霊界と現世界を区別する境界線を自分の周りに引くことで、身体的存在である自分を保っていられる。さらに新しい物質を取り入れ、古い物質を排出する全エネルギーの場の一部であり、ちょっとでも意識のレベルが動いたとき、霊界の存在はその姿を見せるのだというのです。
(神の摂理から)

つまり、私という意識は、境界線の内側にあり、その境界線を引いているのは私の意識である。でも、仮に自分の意識を離れることが出来れば、それは境界線の外側へでも自由に行くことができる。何故なら境界線は自分の意識が作り出しているだけのものだから。
ということになるでしょう。

とすれば、意識の絶対的な概念は実は存在しない。ということなのです。

また、天界と実在界の間には波動が交差していて、神的なエネルギーは常に各個人の中へ平等に流入しているのに、善人の内側にある善いものによってそれは受け入れられるのに、悪人の中には受け入れられない。悪人たちはそのエネルギーを拒絶するか、抑圧するか消滅させてしまうかである。
というのです。

それがもし事実だとしたら、悪のサイクルは止まるところを知らず、現代のストレス現象が人間の幸福に及ぼす影響は計り知れないに違いありません。

私は自分のサイトで自分自身の「無意識の世界」を描いているのですが、それはこの神的なエネルギーを解放し、自分の善の心を取り戻して、その中に天界からの波動を流入させることが必要だと思っているからです。

子どもたちが自殺するのは、次元が上昇しているからだと前回で述べました。それは子どもが純粋だからです。
子どもは自分自身の意識でまだ意識の境界線を周りに引いていません。
自我の芽生えと反抗期を通り、愛を確かめながらこの世界で生きていくための自信をつける時期だからに他なりません。
実在界で生きてゆける自信もなく、傷だらけになり、夢も希望もなく、自分ひとりでは生きてゆけない、そんな子どもの心には、もう天界からの神的エネルギーは入れないのです。自らの境界線を自分で引かない限り助かる道がないと考えてしまうのです。間違ったやり方です。
でも、それに気づいてあげない大人がいけないのです。

子どもは大人よりはるかに霊的な水準が高いのです。
魔術師のように霊的な力を悪に使うことだって可能なのです。
だからこそ、大人は悪で子どもを訂してもダメなのです。

神的なエネルギーが充満しているところに悪は混入されません。
生きる力の源泉を持つのと同じだからです。

スウェーデンボルグはまたこんなことも教えています。
神は常に人と一緒にいるけれど、苦闘しているときの個人は神とは分離し、疎外され、孤独であるように感じるであろう。と。
神に近づいていく過程で、人は神の愛と真理のゆがみに直面し、かくして悪と虚偽の世界に引き込まれる。正しいこと、善いことをいかに認知し選択するかを学ぶのは、真の闘いである。と。

神話があるのは何故ですか?
おとぎ話や童話には真実が姿を変えて寓意となって入っているのです。
だから子どもに本を読んで聞かせるのではないでしょうか。
神話素には神的な世界を子どもに思い出させ、安心感を与えるために必要な魅力的な愛と豊かさがたくさんあるのです。

現実の世界がどんなに苦しくても、未来に必ず光があると信じられなければ、境界線を越えてもと来た道を引き返すことになっても、それはその子のせいではないのです。

霊的な世界のことを少し高い視点から学ぶことで、違った子どもの形相や精神が見えてくるはずなのです。
悪霊だとか、心霊だとかオカルトだとか言って逃げ出したり冷やかしたり誤魔化したりしないで、もっと真面目に精神世界のことを学ぶ大人が増えるべきです。
未来の子どもたちを救うためにも。
  • 2006.11.22 Wednesday
  • 21:22

文学・神話

メルヒェンと錬金術思想を歌った詩人…ノヴァーリス

ノヴァーリスというドイツ・ロマン派の詩人が描いた作品「青い花」を以前読んで、大変驚いたのを憶えています。
この作品は、主人公を通して自分の詩の理想を体現していくというストーリーで、主人公の故郷へ向かっている旅は、錬金術の思想を背景として、円環の完結と内面の深化であることを表現しようとしている繊細で美しい作品として強烈な印象を受けたことを今でもはっきりと憶えています。

ノヴァーリスはこの作品で、夢の中の夢という手法や、同一の主題を次元を変えながら様々に変容させたり、愛とファンタジーをテンポよく対話させたりするのですが、その見事な構成と文体に圧倒されながらも、読者を次第に感動させ、ふつふつと湧き上がる芸術的美しさで魅了させ得る起爆剤のようでもある不思議な力を持っているのです。

そして何よりもここでノヴァーリスの「青い花」を持ち出すきっかけとなったのは、教養小説の雛形としても充分に優れた作品であると思ったからです。
教育者として現れる老抗夫は、主人公の成長に貢献するのですが、そこにはまさに錬金術的思想が織り成す原像を垣間見るような厳粛さと敬虔さを憶えるほどです。

ノヴァーリス作品集〈第2巻〉青い花・略伝
ノヴァーリス作品集〈第2巻〉青い花・略伝


途中に挿入されている「数字と図形の歌」では、当時の薄っぺらで表面的な啓蒙を揶揄し、学問の神髄を失っているようなえせ学問を批判し、錬金術的変容を求めつ太古への憧れと変容を願う気持ちが込められていて、芸術性の高さを認識させられます。

またこの作品のどこかに、現代の日本が失いつつある教育の本質が描かれているような、また教養人が決して忘れてはいけないことを代理して表現しているような気がしたのです。
第二部の途中で、「良心」について主人公が述べている箇所を少し紹介してみましょう。

「もちろん良心は、人間ひとりひとりに生まれつきそなわった仲介者だ…」
「地上における神の代理であり、それゆえ多くの人にとっては至高、究極のものである。だが道徳学、倫理学と称された従来の学問は、この崇高にして包括的かつ人格的な思想の純粋な姿からはほど遠いものだった。良心は人間のもっとも固有の本質が完全に浄化されたもので、いわば天上の原人間なのだ。あれが良心だ、これが良心だと指せるものではないし、普通の言葉で命令を下すこともない。つまり具体的なあれこれの徳目から成り立つのではなく、ただ一つの道徳、決定のときには果敢に断を下し、選択する純粋で厳粛な意思があるだけだ。良心は、はつらつとした固有の不可分な姿で、かの原人間のやさしい象りとして人間の身体に宿り、それに活気を与え、精神を存分に真の活動へ導くことができるのだ…」 『ノヴァーリス 青い花 第二部より引用』

ここで言う「良心」こそが、現代の日本人の心が忘れかけているものに違いないのです。しかも、この「良心」は、ノヴァーリスの語るように、あれやこれが良心であると指し示せるようなものではなく、「完全に浄化された純粋性に属する原人間(両性具有的アントローポス)」の象りであるというものなのです。

それは単純に「いい」とか「悪い」とかで判断できるようなものではなく、また、「良心がある人」とか「良心が無い人」とか認識し得るようなものではないということです。
ノヴァーリスが伝えたかった真実の姿を表現するものの一つが「良心」であり、「詩」であり、「メルヒェン」であり、「図形」であり、「秘密の言葉」であり、「真の世界の物語」であるのです。

私たち人間は、表面的に自分勝手な方法で、言葉の本質を捉えてしまいがちです。
「ああ、こういうことね、わかるなあ。」
とか
「何くだらないわかりきったことを書いているんだ」
とかのように、恐ろしいほど認識に消極的なのです。

そのことを改めない限り、真実の世界を認識することも、ノヴァーリスの伝えたかった「良心」の本当の意味も理解することが出来ないのです。

最後に主人公が出会った女性が、夢で見た青い花にみた顔であると認識したときの感動の一部を紹介してみます。

「…あの青い花を目の前にしたときの夢の中にいるみたいだ。マティルデとあの花との間にどんな特別なつながりがあるというのだろう。花の台から僕に向かって顔をかしげたあの顔、そうだあれこそマティルデの清らかな顔だったのだ。…ああ、マティルデは姿を現した歌の精、詩の申し子なのだ。」
『第1部第6章より』

  • 2006.11.20 Monday
  • 13:28