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  • 2018.04.13 Friday
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無意識の真実

輝く瞳はどこへ…!?



キラキラと輝く子どもの瞳を最近見ますか?
学校、地域の公園、家庭、近所にいる子どもの顔に、キラキラと輝く驚くほどに純粋で、綺麗な瞳を見つけられますか?

子どもたちはみんな本当は、キラキラしているはずなのに、輝きを表に出さないというより、輝きなんて忘れているかもともと無かったかのように淡々と日常をこなしている瞳にしか見えない…
あまりにも現実的で、あまりにも忙しくて、あまりにも子どもらしくない。
それはまるで人形に埋め込まれた瞳のように、心の輝きなど映すことのない曇りガラスのように、その輝きは失われている。

一緒にふざけようとしても、バカバカしいと言わんばかりの批判的な瞳を投げかけてくる。
夢を語って欲しいと期待しながら、瞳とじ〜〜っと覗き込むと、あるけど言わない!とか、なりたい職業をポロリと言うだけ。
一緒に遊ぼう!といって近寄ると、大人のくせにバカじゃない!と冷静に諭してくる。

子どもの瞳は赤ちゃんや乳幼児の瞳とはまた違った、夢や希望に向かってキラキラしている輝きの力とエネルギーが、充満して溢れ出てもいいはずなのに…。

子どもの瞳が光を失っている。
子どもが夢や希望を持ちにくい現実が存在する。
子どもの夢や希望をキラキラ輝かせてくれる環境が失われている。
子どもは輝きを素直に出せるやり場を失いつつある。
子どもが命に投げなりになるのも
子どもが友達や他人に批判的になるのも
子どもが現実から逃げたくなるのも
私には理解できる。

夢が育てられないような教育は、真の教育ではないかもしれない。
学ぶことは何のためなのか、
学校は何故行かなくてはいけないのか、
友達との付き合いって何なのか、
思いやりって何のためにあるのか、
自分は何で生まれてきたのか、
命の尊さを懇々と子どもたちに認識させる以前に、子どもの夢を大切に、子ども自身の気持ちを大切に、いのちはそのためにあることに気づかせられるような教育を大人自身が示してあげなければ、
子どもたちはきっと輝きを取り戻すことは出来ないのかもしれない。

子どもが間違っているのではない。
大人の教育に対する認識が間違っているのではないか。と大人が振り返る姿勢と謙虚な気持ちで、子どもの本音に向かってみることは大切なのです。

漫画の語る夢の世界に、子どもが夢中になっているとき、
それを中断させるのは愚かな親。
それを仕方ないと見送るのは普通の親。
読んだ後に感想を聞いてあげるのは良い親。
何も言わずに自分も読んで、一緒に漫画の語る夢の世界を味わって、共感して楽しんであげられるのが、最高の親。

今の日本の子どもたちの瞳がもっともっとキラキラと輝ける、その日が来るのを信じて夢と光の大切さを訴えていきたい。


  • 2006.11.17 Friday
  • 11:18

無意識の真実

なわ・ふみひとさんの精神世界

2012年の黙示録―ついに解読された終末予言
2012年の黙示録―ついに解読された終末予言
なわ ふみひと

なわ・ふみひとさんのホームページに出会ったのは、私が自分のサイトを立ち上げてから間もない頃でした。
私は、自分の神秘体験と無意識の世界をどうにかして表現しようと、詩を投稿したり小説を書いたり、象徴する絵画を描いたりと、学びと研究をしながら独自で活動をしていました。
ホームページなど作成すら出来なかった私でしたが、少しずつ学びながら何とか自分のことばと世界を表現できる場所が出来たことに喜びを感じていました。
そして、今までインターネットで共感したサイトにリンクをお願いしたりしながら、やっと今日に至るほどになったのです。

そんな私の趣旨に暖かいことばをかけて下さったのが、なわ・ふみひとさんでした。
彼のサイトには人を惹きつける魅力があります。
また、彼が訴えようとしている心のことばがとても正直に伝わってくるのです。
なわ・ふみひとさんの著書「2012年の黙示録」を読むとさらにHPの暖かさに深みが増しました。

私たち人間が終末の時代を迎えていることを認識するとともに、人の行き方をもう一度問いかける必要を述べておられますが、注目すべきはやはり「次元上昇(アセンション)」という概念でしょう。
次元が上昇することについては、なわ・ふみひとさんをはじめ、他にも多くの著名人や学識者が論文にて発表するほどに注目されています。
もっと私たちはそのことに意識を向けて考えてみるべきなのです。

なわ・ふみひとさんのホームページはこちら

2012年の黙示録

私も終末論については、共感できる部分がたくさんありますが、中でも著書の後半で
「人は神になるための道程(みちのり)である」
というところで述べられている「波動の法則」が注意を引きました。
精神世界を追究するためには、一読の価値がある啓蒙書だと思います。


「自殺!子どもたちの次元が上昇中?!」
において、私も次元のことを述べたのですが、現代の社会現象を宇宙的視点から観察してみると、やはり次元のレベルというか波動が揺らぎ始めているとしか理解できないような報道が後を絶ちません。
私たちは、もっと人間というちっぽけな存在の視点から離れて、宇宙的な視点から自分や他人を、また社会や問題を観る必要があるのだと考えるのです。

いずれにしても、現代の社会問題の解決へのキーワードは、
「次元」であるような気がしてならないのです。
  • 2006.11.16 Thursday
  • 09:49

社会・規則


死…人がこの世界に生まれて来たときから全ての人間に平等に訪れる真実
死…死が意味するものは、死という現実に直面したときになってやっと考える

自殺や他殺による死、交通事故死、病死…様々な要因で人は死をむかえる。
毎日のようにトップニュースの座を占めるいじめによる自殺報道。
日本で何かが狂いはじめていると感じてしまうほど、死をめぐる事件は連日後をたたない。

一つ真実に寄り添う事実を見つけた。
人が死ぬことをどのように考えるかは、それぞれが異なる見解と認識を持つということ。
死をどのように扱うかも、それぞれが自由に選択できるということ。

昨晩、管理人である私の95才になる祖母が亡くなった。
呼吸不全と心肺停止、意識もなく眠るように亡くなったらしい。
子どもが4人、孫は12人、ひ孫に至ると20人は下らない大家族を生み出した祖母は、その生涯を終えた。お疲れさまでした。

ところが、その祖母の死に対して、子や孫はそれぞれ異なる見解を持っているのだ。

死後まもない祖母の魂はまだ地上にあるから、遺体を弔うことを安易に考えてはならないとする者
死んでしまったのだから、遺体はただの抜け殻だとする者
生きている間にちゃんと遺言を残さなかった祖母が悪いと開きなおる者
天国に帰って今頃は祖父とともに安らいでいると見守る者

祖母は死を通して、大家族に何か大切なメッセージを残してゆこうとしたのかもしれない。

自殺も他殺も病死も事故死もみんな同じではないのだろうか。
死を通して何かを伝えようとするから、自殺をするのだろうと思う。
謝罪? 復讐? 悔恨? 正義? 自己主張?
死を通してしか伝えられないと、その人間が考えたから死を選択しているのではないだろうか。
病気になることも、事故も避けては通ることのできない偶発的な不可抗力の災害に近い。
何かを伝えるために、それらが起きていると考えることで、生き残った者たちは救われるかもしれない。

生があまりにも残酷で、苦痛と悲惨に満ちていて、肉体も精神もぼろぼろに近い状態だとしたら、死を考えてしまうのはある意味自然なのではないだろうか。

今から20年以上も前、ある出来事を機に子どもの不甲斐なさに責任を感じていた知人の父親が、「身をもって子に父としてのことばを伝えたい」ということばを残して、身体は元気だったはずなのに、突然脳溢血を起こして亡くなったことがある。自殺ではなく、偶然の突然死である。
その父親は自分の死を予知して、そのような事を言ったのだろうか?
あまりにも偶然すぎて驚いたことがある。

死は生ある者に対するメッセージなのだ。
人を死に追い詰めるような、社会も学校も地域も家庭もいけないにきまっている。そして自殺を考えないような社会のしくみや構造を考えたほうがいいに決まっている。体制やシステムをもっと時代の問題に合った構造に変えたほうがいいに決まっている。
でも…
しかし…
死がある限り、生ある者はその死の意味とメッセージを深く、真剣に考えなくてはいけないに違いない。
死は決して終わりではない。
死は何かを解決してくれるわけではない。
死が伝えてくれるとしたら、それは「心のメッセージ」なのだから。
  • 2006.11.13 Monday
  • 14:42